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楽器の王様といわれるピアノのその秘密


 この人には、お会いしておかなければ

 ピアノ調律師の田中英資さんが表現するピアノの音色というものがさっぱり分からないので、思い切って電話を掛け、勉強の為にお伺いしたい旨をお伝えしました。すると、車の運転中だったらしく、その場は一旦切りまして、後から電話をしようと思っていた矢先に彼の方から電話をくれました。

 皆さんご存知でしょうが、田中さんはA&Vvillageに「オーディオマニアの為のピアノ講座」というタイトルで連載されているピアノ調律師の方です。その彼のウェブの中に書かれている、ベテラン調律師の為に書かれた「整音の理論と実際」と言う、ピアノの音色に関する論文を何度も読み返してみるのですが、その音色の説明が私には全くイメージ出来ないのです。

 具体的なお願いとしては、「理論の中にうたっておられるピアノの音色の要素を説明して頂きながら、実際のピアノの音をお聞かせ頂く訳にはいきませんでしょうか」という内容のものです。

 何とも不躾なお願いにもかかわらず、彼は親切にも次のように言って下さったのです。


 『早速、明日の午後にでも来られませんか?』。

 「いきなりで、よろしいんですか?」。

 『どうぞ、どうぞ、後ファックスで地図を書いてお送りしますから、それを参考にいらして下さい』。

 「それでは、楽しみに明日お伺いさせてもらいます・・・?」。・・・気味が悪いくらい親切なんです。

 翌日、ナビに電話番号をインプットして目黒方面へ向かいます。あの曲がりくねった首都高を皆さん90キロぐらいで飛ばして行きますが、私は分岐の所で間違えないかと気になって70キロが精一杯です。ですから、後から来る車全部に追い越されてしまうのです。目的地に近づいてきますと、古い住宅街ですから数日前に行った渋谷と同じように道路が狭いんです。5メートルを超えるジャガーですから本当に運転しにくいです。また車を置く所に苦労してはと思い、電話をして田中さんに案内してもらうことにします。


 響きの良い音が隣の部屋から

 「初めまして」、『こちらこそ』と簡単に挨拶を交わし、コインパーキングに車を置き、田中邸へと参ります。外観からは商売しているようには見えない普通の住宅です。応接間に通されると、隣の部屋では若いお弟子さんがピアノを調整しています。その音とて、とっても甘美な音がしております。

 私が10年前に音楽レストランを経営していた時に置いていた、ヤマハのグランドピアノの音とは雲泥の差です。まして、今調整しているのは国産のマイナーブランドのアップライトです。その上デッドな和室ですから、本来ならもっと暗めの音がするはず。でも本当に気持ちの良い音がしているんですねぇ。


 お互い自己紹介

 そこへ、田中さんご自身がお茶を持って来てくれました。あらためて、名詞交換をします。

 「田中さん、下のお名前は何とお読みするんですか?、 ひょっとして、あの大蔵省出身の”ミスター円”と言われた方と同じ字ですよねぇ?」。

 『そうなんです、同じ名前で読み方も同じ英資(えいすけ)と読むんです。ところで、カイザーさんは?』。

 「はい、単に名字の語呂合わせからつけた名前なんですよ!、もっとも、「皇帝」とか、「帝王」とか、かっこいいですからねぇ」。

 『実は、”KAISER”は日本とアメリカ、”ROSENKRANZ”は日本とドイツ、それぞれに同じブランド名を持ったピアノのメーカーがあるんですよ!』。

 「本当ですか?それはそうと、今調整しているピアノ良い音がしますねぇ」。

 『そうでしょう? なかなか良い音がするでしょう。それでは、その部屋に3台のピアノがありますから弾き比べてみましょうか』。

右のアップライトが“ワーグナー”、左が“PETROF”、手前のグランドピアノが“GROTRIAN”


 目の前にある4台のピアノの音の違い

 1、東洋ピアノ
 実際に田中さんが弾くと、先ほどお弟子さんが整音の為に単音で鍵盤を叩いていたのとは大違い。同時に和音を乗せて弾いた音を聞かせて頂くと、ほんのり音に香りがついてくるような感じです。

 『これでもまだ半分くらいしか整音が出来ておらず、整音後はもっともっと美しい音になるのですよ』。

 『また、このピアノは日本製で、東洋ピアノの”ワーグナー”というブランドです』と説明して下さった。

 ワーグナーと言うと、ついつい”ワルキューレの奇行”を思い起こしてしまいますが、でもそんなイメージの音には聞こえません。

 2、PETROF
 次に、その左側に同じくアップライトでチェコ製の”PETROF”と言うメーカーのピアノの音を聞かせてくれます。今度は同じメロディーでも、もっと上品で気品のある良家のお嬢さんのような音です。その音は少し恥じらいを感じさせる禁欲的な音がします。内面の美と言えば良いでしょうか。「モーツアルトの20番あたりを聴いてみたいですねぇ・・・」。

 3、GROTRIAN
 今度は、普段よく耳にする世界的名器”GROTRIAN”の奥行き160センチの小さなグランドピアノの音です。「これは、全く違います!、力強く、骨格のしっかりとした男性的で豪放な音です」。「圧倒的な情報量とスケール感を持っています、小さなグランドにもかかわらず物凄いパワーです、ドイツ人の好む音なんでしょうねぇ?!」。

 『そうです。ドイツの音楽大学の殆どはこの”GROTRIAN”が入っているのですよ』。

 『クララ・シューマン、ワルター・ギーゼキングがこよなく愛したピアノとして、またスタインウェイの母体となったピアノメーカーとしてでも有名なんですよ』。

 4、ベヒシュタイン
 『それでは、こちらの”べヒシュタイン”の音をお聞かせいたします』と言って、先程まで居た応接間にある1874年製べヒシュタインピアノのグランドを弾いて聞かせてくれます。

 「これはいい!、空気そのものが澄んでいる様な透明感のある音です」。
 
 「17世紀あたりにタイムスリップしたようです」。

 「私が好きな音です、グロトリアンにこの音のエッセンスが入ったら申し分なしですね!」。

 力強い音こそしませんが、このピアノとだったら一緒に長生き出来そうな気がしますから不思議です。それは、停電で全ての電気製品が止まった時に、今までモーターやトランス類のうなり等、いろんな騒音の中で暮らして居たんだと実感するあの感じです。

私の年齢の倍以上の“べヒシュタイン”

 『べヒシュタインピアノは世界で最も繊細で気高く、高貴な音がする、と言われており、別名「ピアノのストラディヴァリ」などとも言われております』。

 『かの有名なリスト、ドビュッシーをはじめ数多くの作曲家、名演奏家に愛された事で知られており、なかでもドビュッシーは「私のピアノ作品はべヒシュタインピアノの為に書かれる」とまで言い切っております』。

 『世界の64カ国の王室に入っているピアノとしても有名です』と教えて下さいました。


 濱田さんの技術はトップレベル

 一息入れている時に、同じ調律師の「濱田光久さん」と言われる方が尋ねて来られました。お聞きするところによると元はコロンビアにお勤めだったとの事で、同じ業界にも身をおかれていたということをお伺いすると急に親近感を感じるのでした。昭和30年代のレコードを発売すると同時に売れると言った時代の話や私達の知らないエピソードなどを一杯聞かせて頂きました。そして濱田さんは単なる調律師ではなく、どうしたらピアノの音が良くなるのかと言う事を田中さんと共に音響学的に地道に研究していらっしゃるらしい。

サウンドベルをお互いに手に持ち記念撮影

 濱田さん曰く、ヤマハのピアノはスタインウェイをモデルにして作られているそうです。そのスタインウェイに有ってヤマハに無いもの、角笛を小さくしたような形の鋳物で出来た不思議な物体、即ち「サウンドベル」と言う物を取り付けると見事な音に変身するのだそうです。「サウンドベル」の取り付けはもう既に沢山の方達から絶賛されているそうです。その「サウンドベル」と言う物を手にとって見せて頂きますと、「上下、水平共に完璧に物性の響きの方向が出来ている」のです。偶然にしては出来すぎだと思い、もう一つ別の「サウンドベル」を見せて頂くと、こちらの物は水平方向に少し物足りない所があります。「ナイアガラ」で培った鋳物技術の説明を申し上げ、「鋳型を置く向きとかを一言お願いすれば、常にバラツキの無い音の良い物が出来ますよ」と言うアドバイスをさせて頂きました。

形状、構造、何を取っても完璧に思えます。

 また、もう一つ名器に変身させるための「独立アリコート方式」への設計変更、と言うものが大きな成果を挙げているそうです。それらの構造や理論をお教え頂くと私には全て理解出来るものばかり。まさに、ピアノの構造は楽器の中でも人体と同じように、「全ての物が体系的に機能しあっている」のがよく分かりました。明らかにこうすれば音に良くないであろう事も、グレードの高い物と比べると物足りないところが何ヶ所かあります。

 私もステレオと言う物を通して、音が良くなる為には如何に有るべきか?と言う「音のカラクリ」の研究をしておりますので、田中さんや濱田さんとはベクトルの向きがピッタンコなんです。


 普通のピアノが名器に変身

 そのアリコート構造について、要約しますと、鍵盤を押したと同時にアクションメカニックの働きによりハンマーヘッドが、先ず、基音を成している発音弦(スピーキングレングス)を叩きます。発音弦の片方は次高音、および高音部では鉄骨のフレーム(別名、カポダストロバー)で押さえられ、もう片方は駒に刺さっている駒ピンによってそれぞれの弦の長さが決定されます。その結果、その長さによって音階が決められているのです。

 駒と鉄骨部分に弦を引っ掛けるためのヒッチピンの間に、共鳴弦(アリコート弦)の役割を持たす為に、一部の高級機種にはアリコートブリッジと言う名の金属で出来た小さな駒があるのです。その距離を決めるのに安い物は一連のプレート状になった金属で、アバウトにしか出来ていないのです。ですから、それぞれの発音弦と共鳴弦の間で、美しい倍音が生まれないと言うことがお分かり頂けたでしょう。それを、濱田さんは1個1個独立したアリコートブリッジを特注で作らせ、完璧に倍音が乗る位置決めを耳で追い込み、名器に生まれ変えさせようという考えなのです。当然一枚の金属プレートで出来た物ですと、お互いが干渉しあって、寝た子を起こすような感じになり、澄んだ音が得られないと言う訳です。


 その発音弦と共鳴弦の長さの対比の関係が、正確に2/3、1/2、1/4と言う風に出来ていなければ、ハーモニーは加算されず、音量感も乏しく、音色も輝きを失ってしまうのです。濱田さんの言を借りれば、あのスタインウェイですら現実にはアリコート弦の調律は70%程度しか合っていないというのです。

 独立アリコート方式による張弦方式については田中さんのホームページ、カテゴリー「tearoom」のなかの「オーディオマニアの為のピアノ楽入門」の「弦の張り方について」の中で三回に亘って写真入りで詳しく説明しておられますので是非読んでみてください。URLは最後に明記してあります。


 田中さんの音楽ライブラリーには無い物が無いほど

 そこで、今度は田中さんの出番です。濱田さんから田中さんの凄さをこっそりと耳打ちされたのは、長野の別宅にあるトンデモナイ量のテープやディスクの音楽ライブラリーについてです。膨大な量のピアノ曲、ヴァイオリン曲、声楽曲、オペラ、その他の器楽曲、ジャズ音楽、果ては義太夫、謡曲、長唄、歌謡曲、軍歌、等など・・・、それらのお爺様の時代からのライブラリーによって子供の頃から鍛えられ、培われた田中さんの地獄耳は半端な音楽観ではないそうです。小学校を卒業するころには殆どのライブラリーを聴き込んでいたそうです。音楽大学でも教授陣を前に「各時代による演奏家の演奏スタイルについて」の講演をした事もあるそうです。


 古典調律と平均律の違い

 「すべてが均等に狂った和音、つまり平均率」と、「完全に合った和音を含む古典調律」をこれから実演で聞かせてくれると言うのです。こんな体験はめったに出来るものではありません。1本の鍵盤に対して各々3本の弦で構成されているその間に赤い2センチ巾程のフェルト(ミュート)を差し込み、両端の弦が鳴らないようにしてそれぞれ真ん中の弦だけで音の高さを調整していくのです。

 調律法には沢山あるし、自分が作った音階は例えいつもやっている平均律でも同じようにはなかなか行かない、とおっしゃる。それでも、あっという間に自由自在に音律を変えて行くのです。

 <古典調律について>

 ある音の高さを音叉で採り、採った音の高さから純正四度、純正五度をとってドレミファソラシドの音階を作っていくと必ず最後の和音が濁ってしまうと言う。ウルフ(狼)と言う名のゴミが出ると言うのです。私は初めてこのウルフという汚い和音の響きを聴かせて頂きました。この汚いウルフと言う不協和音をどうやって音楽を表現する時にうまく処理するか、と言う事でピタゴラスの時代から色々な人達が思考錯誤してきたそうです。厳密に調べてみると何百種類ものドレミファソラシドの音階が考案されたのではないかとの事です。

 古典調律法で音律を合わせると、例えばハ長調といったようにその調性の曲しか演奏出来ないと言う欠点があるのだけれど、しかし、その澄んだ響きの音を知ったらたまらないほどの魅力があるそうです。ところが、一旦転調してしまうと、がらりと今までの雰囲気と違った曲になってしまうのだそうです。ですから、バッハ、ショパンをはじめ鍵盤楽器の作曲家は意識して調性の違う、言いかえれば最もその曲が美しく響く調性で作曲しているのだそうです。あの響きの違いを知ってしまった今では、私たちはその曲の持っている本来の美しい音楽を聞けていないと言う事になります。「ああぁ〜・・、なんと言うこのっじれったさ」。

 <平均律について>

 今度は、12の音にそのゴミを均等に割り振って、全ての音にわずかなゴミを最初から足す方法のことを平均律と言うそうです。その平均律で調律した音を聞かせて頂くと、なるほど、いつも聴き慣れ親しんだ音です。しかし、さっきの澄んだ音を知ったらあの音が欲しくなります。


 内田光子のモーツアルトのピアノソナタ

 大ブレークした内田光子のモーツアルトピアノソナタ集だけど、あれは調律によって仕掛けられたものなんですよ。とまで教えてくれました。最初はみんな知らず、内田光子のモーツアルトの世界は何とも素晴らしい音色を醸し出す、と言うことで、彼女は大旋風を起こしてしまった、と言うのです。あれはベルグマイスターの調律法で演奏されたもので、平均律ではないそうです。


 音の立体図形について

 『貝崎さんがお電話で分からないと言っておられた音、いいですか? これが閉じた音です。次は開いた音、、、如何ですか?』。

 「こういう音の違いのことを言っておられたのですか、全くもってよく分かります」

 オーディオ的には詰まった音とか、抜けの良い音と言った表現をするものです。また、私独自の感覚では、バットの根っこに詰まった感じと、芯でヒット出来た時の感じです。


 それと一台のピアノの中での各鍵盤に対する音色の違い、つまり「汚れた音」「にじんだ音」「甘い音」「厚みのある音」など、色々な音を聞かせてくれるのですが、立体的な3次元の十文字があるとするならば、今の音がどこに位置するものかというイメージは、自分なりに整理整頓できます。「激しい音」「弱い音」、「明るい音」、「暗い音」、「瑞々しい音」に「こくのある音」と言った風に。

 『さすが、カイザーさん凄いですねぇ・・・、音大の生徒、ピアノの先生、果てはピアニストに至るまででも、こうした事が判断出来ない人が沢山おられるのですよ』とおっしゃる。

 私が立体的な十文字でイメージするのに対し、田中さんは各々の響きによって音色を決定する各音色要素の量が変化するのでそれに伴い、確実に立体図形がイメージの中で変化していくのだそうです。私と田中さんの音色の分析方法の手法と言うのは図形のイメージの仕方は違うものの全く同じアプローチ、即ちベクトルの向きが同じだったのです。なんとも心強い想いをしました。


 昔の人も”1kaiser”を使った?
 
 全部で88ある鍵盤の右端にある最高音の基音部分にあたる発音弦の長さが、実は平均すると52,5ミリ(0,05kaiser)だと言うのです。「ええぇぇ〜!」・・・びっくり仰天といった感じです。死に物狂いで見つけた「音の波動のモーメントの瞬間」を捕らえたと言って大騒ぎしたものです。ローゼンクランツ製品は、音の良い長さの単位105ミリの整数倍によって設計されていますから、音が音楽になるのは実はこうしたところに秘密があったのかもしれません。これで、また一つローゼンクランツの「音のカラクリ」が証明されたのです。


52.5mmのスピーキングレングス。
 ピアノの事なら何でも来い

 最後に奥の部屋の工房を見せてもらったのですが、グランドピアノの鍵盤やアクションをばらしてオーバーホールしておられる最中でした。私自身が今日、田中さん宅へお邪魔して驚いたことは、例えどんな状態の悪いピアノであっても、彼の手に掛かれば新品の時以上の香り高い音色にしてしまう能力。驚くべき音色技術に関するノウハウを持っておられると言う事です。彼の飛び抜けたその能力と言うのは、ただ弦の張り具合を調整するだけの一般のピアノ調律師とは全くもって違う、ピアノに関するあらゆる「技術」と「地獄耳」と「鋭い音楽的感性」を持ち備えた、「問題解決能力の高さ」にあると見ました。

田中さんの精密な作業によって生まれ変わるピアノ。

 田中さん、濱田さんとは初めてお会いしたにも拘らず、昔からの友人のごとく打ち溶け合って、お互いに興味深く新鮮な話題で時間が経つのも忘れてしまいました。お伺いしたのはお昼の2時半だったのに、失礼する時にはもう既に時計は翌日の0時を過ぎていました。

左が田中さん、右が濱田さん。

 「本日は、長時間にわたって色々と教えてくださいまして有難うございました」。


田中ピアノ調律所のウェブサイトです。 http://www1.odn.ne.jp/~cbz49420/


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