トップ情報寺島靖国スペシャル>その22 「写実派と抽象派」

その22 「写実派と抽象派」


 絵を書くこと、歌うこと、野球をやっても、ゴルフでも、何でも上手になろうとすれば、人は先ず物真似から始めます。私たち普通の者は先ず基本に忠実に元の姿を崩さないようにやるものです。それが寺島さんだけは基本をやらないでいきなり自分のスタイルを押し通すものですから、当然一般の人には理解できないことばかりです。ですから寺島邸を訪れた人すべてと言ってもいいほど彼の音をよく言わないのです。

 私も何度お邪魔しても、寺島さんの求めようとしている音の価値観がほとんど分らないのです。言葉では「ガツ〜ン!」とか、「バシャ〜ン」とか、「ゴリッ!」とか言われるのですが、なかなか理解できません。たった一つでも、「この音がいい!」というのが両者一致すればいいのですが、残念ながら今までにはありません。寺島邸で出た音に対して具体的にこの音がいいというのが私には感じたことが無いのです。しかし、それでもただ一つ「ローゼンクランツ」の「インシュレーター」だけにはぞっこん惚れ込んでくれているのです。この事だけが寺島さんと私の唯一の接点なのです。

 それが、この度ヤスケンさん宅にお邪魔して初めて気づいたことがあります。音が鳴るなり、「全く同感です!」と言うぐらい、ヤスケンさんが出している音と私が追い求めている音の方向が同じなんだ!、と言うのが会話を交わさずとも瞬時に感じ取れたのです。そしてヤスケンさんに話したことです。私たちは「リンゴ」を見て瓜二つの「リンゴ」を書こうとしていますが、寺島さんの場合なら「スイカ」に見えてもこれが「リンゴ」なんだと言われるようなもので、ひょっとして「ピカソ」や「岡本太郎」の抽象画ような飛びぬけた能力の感性なのかも知れません。

 いつでも見事なリンゴが書けて、私たちにそれを見せてくれた後に、「スイカ」の姿をした「リンゴ」の説明をしてくれると理解できるかもしれません。同じような価値観や意思の通じる道具をお互いが持っていたなら理解し合えると思いますが、あまりにも能力がかけ離れていたならば私達凡人には分るはずがありません。

 でも私は今日から思いを更に新たに、少しでも抽象画が理解できるように勤めさせてもらおうと思っています。なぜなら寺島さんは64歳にして、あれだけJAZZとオーディオに情熱を燃やし続けられるには凡人のエネルギーで出来るものではないからです。少なくともそのことだけを取ったら私など足元にも近づけません。全ては勉強です。これからも寺島さんとのお付き合いは永くなりそうです。


backnext