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音は自分だけで作って行くべきものなのか?!

オーディオとは自分で悩みながら音を模索して行くもので、
その苦労の果てに自分の音を作り上げるのが、
最も価値のあるオーディオ道だ!!

このような旨の論調が昔から幅を利かせていますが、どのような主張も、
それが "成り立つための前提条件が満たされている中でならば"
そうなんですよ! という、
言外の但し書きが付きまとっているものなのです。

この主張を成り立たせる為の前提条件とは何なのか?
勿論言うまでもなく、

"一通り音楽を楽しめる音が出ていれば" という事になります。

では、次のような場合はどうなのでしょう?!
聴いていると却ってストレスがたまる。
不自然なバランスで次第に頭が痛くなってくる。
この良いと感じられない音をどうしたものか!?
音ばかりが気になって音楽に浸れない。

音の悩みが深刻なこうした状況の中では、
自ら苦労し、長年かけても自分の気に入る音を作れない者は、
オーディオをやる資格は無い!
といった話は、論外の暴論でしかありません。
難病も医者に頼らず自分の力で治せと言っているかのようです。

オーディオのプロにもピンからキリまであって、
これらの諸問題を解決するのは極めて難しいのです。
電源汚染が酷くなった今日では、特に困窮を極めます。


他方オーディオ製品の出来栄えはと言うと、
見せかけの性能重視の誤った音作りが蔓延し、
心に響くような音楽性は年と共に失われ、
音楽と呼べる代物ではなくなりつつあります。

オーディオというものは、
機器やアクセサリーの音の良し悪しだけではなく、
プロと呼ばれる人達の発する言葉の真意を見抜く、
目利き鼻利きが要求されるのです。

したがって、旧来は正しかった冒頭に述べた論も、
今となっては通用するものではありません。
車のコンピュータ化と同じように、
素人の手に負えるものではなくなってきているのです。

仮想世界で空虚で無毛な議論を繰り返すエセ音楽マニアには、
音楽性を引き出せるだけの腕も財力もなく、
グロテスクで不健全な刺激性の音遊びしか出来ません。

純粋に音楽を楽しみたい純正の音楽ファンまでも、
自分達と同じくだらない音いじり病の被害者へと、
巻き添えにするだけという、
諸悪の根源になっている場合がほとんどではないでしょうか。


オーディオ機器を買った目的のその原点は何だったのか?!

より良い音で再生する事によって、
作曲の意図、奏者の表現意図、描こうとしている世界観、
訴えたい情動、これらの深みや高みへと更に触れたいから、
覗いて見たいから・・・
多くの方にとってはこうだったのではないでしょうか。

餅屋は餅屋という言葉があるように、
その道のエキスパートに信頼して委ねるゆとりと、
プロはそれに応えるだけの使命感を持つべきではないでしょうか!
こうした高いレベルの信頼感で繋がる事を、
理としようではありませんか!
日本という国は、そうした美学を旨とした筈です。

カイザーサウンドは不変です
混迷閉塞の時代を突破すべく
理想に向って一路邁進します

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