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音と絵、耳と目、漢字と英語はデジタルとアナログの関係

音と絵の意味 ⇔ 耳と目の役割

音楽は時間の流れ中にしか存在しない芸術であるにも拘らず、時間という流れの一瞬を切り取った静止状態をグラフ上に指し示して、性能が良いのだと述べたところで、音楽の良し悪しを識別判断し得るだけの説得力はありません。聴覚には暗黙知の部分があり、測定器による形式知では前者に遥かに及ばないからです。

片や目に入る写真や絵はどうでしょう? これこそ時間を止めた瞬間を描いたものであります。逆に止まっているからこそ、凝視しそこから何かを汲み取ろうとするのです。その脳がどう働いているのかまでは私には分かりませんが、絵と音は時間という次元で見た時には、静と動の対極を成すものです。

面白い事に写真や絵の世界では性能を測定器等で計るという事はありません。目は瞬時に判断する為のもの。耳は時間の流れの中で認識する為のもの。絵がデジタル的で、音がアナログ的と言えませんか?。

又、同じ絵でも油絵は筆を叩くように違った色を何度も塗り重ねて、遠近感や深み、そして質感を表そうとしています。他方墨絵はどうでしょう? 塗り重ねるという事はしないで、精神を集中し一気に筆を運びます。即ち、一発勝負なのであります。そこには強弱と緩急の時間の動きが読み取れます。

では、貼り絵はどうでしょう? これもデジタル的で油絵とよく似ています。でも、それらは近づいて見ると何を表しているのか分かりません。だけど墨絵は近づいても、緩急・強弱の情報が殆どと言っても良いほど認識出来ます。これが命に繋がる連続性と神秘性であります。これこそが音楽なのです。

音楽とはかくも深遠・神秘なるものです。


英語と漢字はデジタルとアナログの関係

又、言語構造にも現れていて、アルファベットの組み合わせから成り立っている英語等はデジタル的構造で出来ていて、元となる文字の種類が少ないので、主たるテーマを間違いなく伝えるにはよく出来ています。

しかし、「日本語は最後まで聞け」という諺があるように、単語を並べただけでは中々通じるものではありません。音読みと訓読みがあり、同じ発音で意味が全く異なる言葉が存在するのも、味わいを深さを楽しむアナログ的構造その物ではないでしょうか。

日本語とは微妙な言葉遊びを楽しむ事が出来る、世界に例の無い高度な言語であるという事を再認識した次第です。特に文章で表現する事に於いては世界一優れた言語だと思います。だから、差別に繋がるという理由の元に言葉狩りが行われるのは、日本文化の破壊に繋がるので断じてあってはなりません。