6月23日 NHK
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」の直前に、光秀の重臣と四国の戦国大名の長宗我部元親が、信長による四国統治などを巡って交わした書状などが、岡山市の美術館が所蔵する古文書群に含まれていたことが分かりました。本能寺の変が起きた理由を探るうえで、貴重な発見として研究者の注目を集めています。
この文書は、岡山市にある林原美術館が所蔵する「石谷家文書」と呼ばれる古文書群の中から見つかったものです。
石谷家は光秀の重臣の斎藤利三と親戚関係にあり、林原美術館が岡山県立博物館と共同で調査したところ、利三と長宗我部元親が交わした書状などが含まれていることが分かりました。
このうち、本能寺の変の5か月前に利三が長宗我部家にいる親戚に宛てた書状では、四国の一部の領有しか認めないとする信長の提示を拒否した元親に、考え直してもらうよう働きかけを依頼しています。
本能寺の変の10日ほど前に、元親から利三に宛てた書状では、四国への出兵を決めていた信長に恭順の意を示していて、元親がこの戦を避けようとしたことがうかがえます。
本能寺の変を巡っては、光秀が元親と親戚関係にある利三を通して、元親に四国全体を領有させようと交渉したものの、信長が方針を変更して最終的には元親を討とうとしたため、光秀が反旗を翻したとする「四国説」があります。
今回、本能寺の変直前の光秀の重臣と長宗我部家とのやり取りが書状として見つかったことで、本能寺の変が起きた理由を探るうえで、貴重な発見になるとみられています。
岡山県立博物館の内池英樹主幹は「四国説の弱点は、後世に書かれた二次史料に基づいていたことだったが、有力な一次史料が初めて見つかったという意味で非常に貴重だ」と話しています。
今回見つかった史料の一部は、林原美術館で来月19日から公開される予定です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140623/k10015445261000.html