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日本人遊撃手はメジャーで通用しない?

日本経済新聞 2014/10/5 ポストゲームショー(田口壮)


ヤンキース、いやメジャーの顔ともいえるデレク・ジーター選手の“引退シーズン”が終わりました。本拠地のヤンキースタジアムはもちろん、ビジターとして遠征した先々で大声援を浴びる姿を見ながら考えたのは、日本選手にもいつか内野の花形といえる遊撃手として活躍する選手が出てこないかなあ、ということでした。


「引退興行」は一部選手だけの特権

シーズンの始めに引退を予告したジーター選手。今季は丸々、この偉大な選手を見送るシーズンとなりました。

ここでちょっぴり引っかかることが出てきます。日本でも引退を事前に宣言し、プレーを続ける選手が出てきましたが「辞める」と話すこと自体、心身とも「終わっている」状態ではないか、プレーし続けるのは変なのでは?と疑問に思われる方もおられるのではないでしょうか。

こうしたケースはやはりレアケースとみるべきでしょう。引退を宣言しながらプレーし続ける、つまり「引退興行」が許されるのはジーター選手や、昨季限りで引退したマリアーノ・リベラ選手(ヤンキース)ら、間違いなく歴史に名を残す選手だけに認められた特権といえるでしょう。

レッドソックスのデビッド・オルティス選手は「こんなことができるのは彼らだけだね」というようなことを言っていました。低迷していたレッドソックスが2004年に86年ぶりの“世界一”となったときからの主力であるオルティス選手も、十分「引退興行」の資格はありそうですが「僕はそんな柄じゃない」との思いもあったのかもしれません。

ともかく、こうした引退の仕方は「その他大勢」の選手に許されることでないのは再確認しておきましょう。


メジャーと異なる日本の守備「思想」

さて、遊撃手というポジションについてです。ジーター選手は身長190センチ。彼に限らず超大型選手が当たり前のように遊撃をこなしていること自体、日本人から見ると驚異なわけですが、彼らの動きをよく見るとわかってくるのです。遊撃というポジションを守るのに体のサイズはあまり関係ないし、逆にいわゆる「鉄砲肩」といわれるような圧倒的身体能力も必須の条件ではない、ということが……。

松井稼頭央選手、西岡剛選手らがこれまでメジャーの遊撃に挑戦してきましたが、レギュラーでばりばり活躍した選手は残念ながらいません。

日本の人工芝に慣れていると、メジャーの天然芝に対応できない、などという説もありますが、私は日本ならではの守備の「思想」が一番の原因ではないかと思っています。わかりやすい例を挙げると、バックハンド捕球に対する考え方の違いです。


正面で捕るかバックハンドでさばくか

日本ではゴロは正面で捕るのが原則とされているので、少年野球から「打球の正面に入れ」と教え込まれます。遊撃だと打球が二遊間であれ、三遊間であれ、できるかぎり足を動かして正面で捕れ、と教わるわけです。

ところがジーター選手ら、メジャーの名手は特に三遊間の打球に対して、無理をして正面に入ろうとはしません。バックハンドでさばき、そこからスムーズに送球の体勢に入るのです。ちょっと考えればわかるのですが、体をボールの正面まで運び、そこに左手のグラブを添えていくのは移動距離が増え、動作も相当窮屈なものになります。バックハンドで処理する方が、はるかに自由が利くのです。無駄なステップを踏む必要がない分、送球の時間も短縮でき、三遊間の深い位置からでも打者走者を刺すことが可能になるのです。

花形ポジションである遊撃には「オズの魔法使い」ことオジー・スミス選手(カージナルスなど)、オマー・ビスケル選手(インディアンスなど)らのスーパースターがいました。

しかし、彼らが特別強い肩を持っていたかというと、必ずしもそうではありません。この数年のジーター選手もそうなのですが、決して鉄砲肩といわれるほどの強肩ではありません。それでいて遊撃が務まるのはバックハンドのテクニックに象徴される手順の簡素化と時間短縮のすべを身につけているからなのです。


ミスを最小限に抑えようと考える日本

カージナルス時代の同僚、遊撃手のエドガー・レンテリア選手のバックハンドのグラブさばきは思わず見とれてしまうほど美しいものでした。そのテクニックは「世界一」といわれていたものです。

ところが日本ではバックハンドの捕球はあくまで窮余の策とされ「なるべくなら、やらずに済むのが理想」とされています。なぜでしょうか。

それは日本の教え方がきまじめというか、お堅いというか、とにかくミスを最小限に抑えよう、という思想の上に成り立っているからです。打球の正面に入ることで、取り損なっても球が体のどこかに当たって前に落とすことができる。前に落とせば拾い直して送球し、アウトにするチャンスも出てくる。しかしバックハンドで捕りにいってそらしたら、球はそのまま外野に転々、ノーチャンスではないか……と。


自然でシンプル、理にかなうメジャー流

この思想に凝り固まっているので、正面に入れる打球に対し、バックハンドで捕ろうものなら「怠慢プレー」「楽をするんじゃないよ」「手抜き」と非難の声が飛んでくるのです。この考え方には一理あるのですが、人間の体の自然な動き、そして動作をできるだけシンプルにするという原則に立ったときには、メジャー流の方が理にかなっているのではないかと思います。

「ゴロを正面で捕る」ことは日本では疑いようのない鉄則とされているので、たとえばどこかのコーチが「無理せずバックハンドで捕れよ」と教えたら「いいかげんなことを教えてもらっては困る」と周りのコーチや、フロントの人にもいわれるでしょう。この部分の「思想」の根本的な転換がないと、日本の内野手がメジャーのショートの定位置を取る日は残念ながら来ないと思います。


遊撃の名手のプレーは即興芸でアート

私は名手とされる遊撃手のプレーは芸術作品だと思っています。投手の足元を抜けて、センター前に達しようというゴロ、三遊間深く追わねばならないゴロ、ボテボテで一瞬の出遅れが命取りになるゴロ……。それぞれのリズムと癖をもったゴロに対し、瞬時に反応し、足の運びや捕球から送球の動作を創造していくのです。瞬間の想像力が問われるということですから、それはやはり即興芸であり「アート」でしょう。

メジャーの選手はそうした感性を磨くべく、試合前の練習から素手で捕ったり、アクロバチックな動きを試したりしています。一見すると、おふざけとしか見えないのですが、こうした遊び心が芸術作品を生むのです。それは最悪の事態だけは免れようと型にはめていく思想からは決して生まれないものなのです。

(野球評論家)




アメリカという国はチャレンジしての失敗を責めない!

日本の場合は無茶なことをするから失敗を犯すのだ!

こんな国民性の違いを田口氏は教えてくれた。

ショートの守備は明らかに大リーグの選手に魅力を憶える。

日本の国民性からしてそうした考え方を導入出来るだろうか・・・

同じことをしても国によって受け止め方が大きく違うのである。

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