トップ情報日本国民は日本という国をどんな国にしたいのか?>中国を拒否できない日本

中国を拒否できない日本

中国を拒否できない日本<関岡英之(著者)>を読みました。中国の新国家戦略と対日外交について徹底検証しているのですが、マスコミで報道されていない事が殆どです。報道の自由があるはずなのに、こんな重要な事をどうして報道しないのだろうか? 理解に苦しむ事が一杯あります。

アヘン戦争以来中国は西洋列強と日本には苦渋を飲まされてばかりでしたので、その内必ず強国中国を目指すという意思がはっきりと見えて取れます。その目立った動きは強い軍事力と経済力を身に付けながら領土拡大を計る事、そして資源や水の確保といった動きに現れています。

経済発展と共に車や電化製品を手にし、豊かな生活を謳歌している成功者達を見るようになると、我も我もとその欲望は留まるところを知らなくなります。13億とも16億とも言われている人達がそうなると、石油、電力、食料、水が今までの何倍も必要になります。

その動きが世界との軋轢を生んでいるのです。国境を接するところだけでも、チベット、ウィグル、モンゴル、インド、ベトナム、フィリッピン、韓国、日本等とあります。

もう一つは移民として出て行っている華僑、華人の現地でのマナーの悪い振る舞いが世界から不評をかっています。中国の先進国並の生活を果たして地球は養い切れるのでしょうか。このまま行けば、遅かれ早かれ第三次世界大戦が勃発するのは目に見えています。

お知らせしたい事は山ほどあるのですが、とても書き切れないので、著者の「あとがき」部分を引用しながらまとめてみたいと思います。


それは、尖閣ショックの余韻が燻っていた2010年10月3日の事だった。その晩、NHK総合テレビが放送した「"核"を求めた日本 被爆国の知られざる真実」という番組を見た私は二重の衝撃に打ちのめされた。かって外務事務次官や駐米大使を歴任し、外務官僚として最高の栄誉を極めた村田良平氏がその番組のインタビューの中で日本の国家機密を暴露した。

非核三原則である「持たず、作らず、持ち込ませず」の中の"持ち込ませず"の部分について、米軍の核の持ち込みを認めるという密約を交わしていたとの件は既に新聞等でも大きく取り上げられていたので、多くの人は「やっぱりな」と思ったはずである。

更なる驚きは、1964年に中国が初の核実に踏み切った事を安全保障上重大な脅威と認識した我が国の政府が、核兵器の開発を極秘裏に検討していたというのだ。時の佐藤栄作政権は内閣調査室に専門家を集めてプロジェクトチーム編成し、プルトニュームの製造から核兵器の開発までを詳細に検討した結果、「核兵器の保有は、我が国にとって技術的には極めて容易だが、政治的には困難である」と結論付けた極秘報告書をまとめていた。

政治的には困難というのは、国内の反核運動と我が国の核武装を決して許さない米国の国家意思である事は誰の目にも分かる事である。当時、外務省の国際資料部調査課長だった村田良平氏は、かっての枢軸国として日本と同様に米国から監視される立場にあった旧西ドイツとの間で、核開発に関する極秘交渉を69年2月に箱根の旅館で行っていたという生々しい事実を暴露したのである。

村田氏はがんを患い死を前にして、国家の重要な仕事を担った自分が何をすべきか、真に国益を考え、後に続く日本人に伝えたかったのは、特攻隊として若い命を日本国に捧げた勇姿とも思いを重ね至った結論であろう。強国との外交というのは煮え湯を飲まされたり、恫喝されたり屈辱の連続だっただろう事が彼の最後の行動に表れてるような気がしてならない・・・。そのストレスががんとなって現れたはずである。

その村田氏はこのように語っている。

日本という国の至高な利益が脅かされるような緊急事態になったら、核兵器を持つというオプションも完全にはルールアウトしない・・・。

日本に於いて核に関する真剣な、真面目な、しかも実体の脅威を頭に入れた議論を巻き起こすべきなんです。

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