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石原慎太郎 異端な存在の意味

2011.12.5 MSN

つい先月私たちは、極めて異端な存在感を持つ二人の日本人の逝去と誕生を見た。一人は天才?ともいわれた傍若無人な落語家立川談志、もう一人は、今もっとも危険な政治家ともいわれている前大阪府知事そして新大阪市長の橋下徹だ。

談志についてはいろいろな人が、この今になれば天才、名人として称(たた)えその死を惜しんでいるが、生前彼ほど誤解と顰蹙(ひんしゅく)を買った男もいまい。その訳は社会の常識からすれば極めて当然のものでもあった。

世間の顰蹙の理由には、話の調子に乗り過ぎての余計なお喋(しゃべ)りへの反発、例えば「緑の小母(おば)さんには美人はいない」などと、いわずもがなのものもあったが、他の大方は世間体を踏まえた馴(な)れ合いの美徳への皮肉であって、「落語とは人間の業の肯定だ」と断じていた彼からすれば、当然のことだった。

この私は彼とある共通項をかまえた今思えばかなり奇妙な友達だった。会う度に憎まれ口を交わし反発し合い、それが互いの活力となって無言の友情を育む間柄だ。勝手な時に電話してきたり、現れたり、特に体を壊してからは「あんたに石炭を焚(た)かれると妙に元気が出るからな」と対談の企画を持ち込んで悪口のいい合いだった。

そんな彼が声の出ぬ半ばの骸(むくろ)になってから私だけが最後の会話を交わしたのだ。家で死にたいという彼の言葉を受け病院から家に戻っての三日目に敢(あ)えて電話をし、私が一方的に話すからと秘書に受話器を彼の耳元に近付けさせ、私一人が喋った。

それもいつもの調子で、「やい談志、お前もいよいよくたばりそうだな。言い返そうとしてももう駄目だろう。しかしそれが君らしい天命なんだぞ。死んだ後も喋りたいお前に、天が、もういい、今からもう何も話さずにゆっくり休めといってくれてるんだよ−」とこちらからただただ一方的な会話だったが、次第に彼がそれに答えるぜいぜいとした荒い息づかいが伝わってきた。

そして私はその言葉にならぬ彼の声の意味を全て理解し聞き取っていたと思う。あれは無頼な名人の談志の最後の告白であり捨て台詞(ぜりふ)だったと思う。

晩年彼はよく、「古典古典というがね、古典をやってると俺の話の中で主人公が勝手に動きだしてもう俺のいう事をきかなくなっちまうんだよ。『芝浜』の落ちでもそうだ、もう酒は飲まねえじゃなしに、よしそれなら一本つけろってね」

彼はそれをイリュージョンだなどといったが、彼の反逆のエネルギーの昇華に他なるまい。古典落語などというものは、歌舞伎と同様完成されつくした様式だから誰がやってもほどほどのものには聞こえるに違いない。

しかし彼ほどの者になるとそれが我慢ならなかったのだろう。

既存の規格、既存の慣習に埋没していればことは安易に運ばれようが、実は損なわれ失われるものも多大なのだ。それを如実に証すものが政治であり行政だ。国家の官僚たちが自負する彼らの美徳、継続性と一貫性なるものが保持されれば時代の変化に対応できる訳がない。戦後の日本を支えてきた者も官僚なら、それを駄目にしたのも継続性に溺れた官僚なのだ。

それを露骨に証したのが、かつては東京をも凌(しの)いだ日本の大都市大阪の著しい衰退ではないか。地方官僚の巣窟の組合のエゴがあの大阪を食い物にしてのさばってきた杜撰(ずさん)な行政が定着してしまった結果、市民の十八人に一人が生活保護を受けているといった奇体な現実が到来してしまったのだ。

これは悪しき行政のもたらしたイリュージョンに近い、実はまざまざとした悪しき現実なのだ。組合のエゴと、保身のためにそれに媚(こ)びた政治家たちの所行が大阪を滅亡に導き国家の活力をさえ奪ってきたのだった。それに異議を唱え、既存の行政のシステムに反発して立ち上がったのが橋下徹だった。

彼の言葉にはいささか未熟な部分もあって、「大阪都」とか「政治は独裁」などという表現は誤解の種だが、大阪が大大阪として復活し、行政が継続性に溺れている官僚の手からもぎ取られ、新しい発想力を持った指導者によるトップダウンで行われなければ行政はいたずらな堂々巡りで市民国民の被害は増すばかりだ。

人間というのは本質的に保守的なもので、特に個人の強い自我が形成されてはいないこの国ではルーティン化した行政の被害者たる市民、国民はそのラディカルな変革を望みたがらぬが、しかし来るところまで来れば不満は爆発しよう。

今回の選挙で大阪の市民が示した選択もその表示だし、実は今は亡き立川談志の芸とその生き様に国民が寄せた賛辞も同質のものだ。

異端に近い、しかし強い存在感を持つ人間の主張にある時点で多くの人々が共感を示すのは実は時代の転換の必然性を暗示している。私自身それを体験してきた。戦後擡頭(たいとう)してきた新しい世代の芸術は結果としてそれを忌避しようとした古い世代を凌ぎ、「怒れる若者たち」の新しい情念を代表して定着していった。

歴史はそうした事例に充ち満ちている。立川談志は限られた世界ではあってもそれを証して死んだし、橋下徹はやがてそれを証すだろう。歴史のその原理を信じることなくして、新しく良き変化にどうして期待出来ようか。横並びの類型人間の多い日本の社会で、彼ら二人の存在の意味はそこにある。

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