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石原慎太郎が憂いを込めて近代史を総括

【日本よ】石原慎太郎 歴史の報復
MSN 産経ニュースより 2010.8.2 03:40 

人間のさまざまな意欲の所産である歴史は、その流れの中で多くの歪(ひず)みを生んではきたが、長い目で見るとそれを修正し結果として『ある意味で』公平な帰結をもたらしているようにも思える。

かつて十九世紀から二十世紀にかけて歴史を支配した食うか食われるかの帝国主義の原理は、有色人種の中で唯一近代化に成功した日本が、白人の列強に伍して引き金を引いた第二次世界大戦の結果覆され多くの植民地は解放されて独立を果たし、かつての宗主国は彼の地に埋蔵されている資源にしきりに媚(こ)びざるをえないようになった。

世界が時間的空間的に狭小なものとなり、多くの情報によって人間たちの欲望が膨張氾濫(はんらん)し、それをあがなう技術が進展し、生存の舞台である自然の破壊は進み、世界は温暖化という、意識はされても確かな対処の方法を取りきれぬ危機に晒(さら)されている。そしてこの未曾有の問題への適格な対処を、私たちは過去のいかなる歴史からも学ぶことは出来はしない。

私が三十年ほど前に聞いたあのブラックホールの発見者ホーキングの、「文明が進みすぎた惑星の運命は皆同じで、宇宙時間からすればほとんど瞬間的、地球時間からすれば百年たらずで生命は消滅するだろう」という予告は段々信憑(しんぴょう)性を帯びてきた。

しかし現代における人間たちの絶対的な価値基準は、どうやらどこの国においても所詮(しょせん)物欲、金銭欲でしかありはしない。そして政治はそれに媚びざるを得ない。それを抑制出来るのは『神』しかあるまいが人間の作り出した『神』もまたこの事態に所詮沈黙せざるをえない。

さらに厄介なのは、その肝心の神様が人間たちを角逐(かくちく)に追いこむ体たらくだ。人間が作り出したものなのに、いったん人間の手を離れると『神』はいたずらに絶対化され、その本質を逸脱してしまうようだ。私には、いわゆる一神教同士のいがみ合いがどうにも理解できない。多神教というか、むしろ氾神論社会ともいえるこの日本でいう『我が仏は尊し』というくらいの心情なら理解も出来るが、歴史的には同根ともいわれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の間の激しい摩擦は理解に遠い、というより『神』の立場からすれば許しがたいものに違いない。彼等は自ら造った『神』たちを自らの手で殺そうとしているのだろうか。

しかしその背景にはやはり人間の歴史がもたらした所以(ゆえん)がある。宗教の独善がもたらした中世における、エルサレムの占拠を巡っての十字軍なる愚挙が歴史の中に長い尾を引いて、さらにキリスト教圏の白人によるイスラム教圏の民族への植民地支配がかの地での抑圧と憎しみを増殖し心理的に深い溝を造成してきた。そしてそれが今日の世界での激しい対立意識を加速している。自らの
国に住む異教徒の女性の衣装を禁じるような愚かさ。

私は、あのペンタゴンとニューヨークの貿易センター・ビルへの多発テロが行われた時ワシントンにいて、昨日訪れたアメリカの防衛中枢である国防総省が炎上するのを目にして強い感慨を禁じ得なかった。あの出来事を象徴する出来事がすでにかなり以前に在ったことを、アメリカ人の奢(おご)りからくる鈍感さは気づいてはいなかった。

かつてベトナム戦争当時、アメリカの国民的英雄だったヘビー・ウエート級ボクシングの世界チャンピオンカシアス・クレイは、その名前をモハメド・アリと変えて従軍を拒否して有名となった。もっともベトナム戦争そのものが国内で否定されたことで彼は市民として復権したが、彼のとった行動の根底にあったものをアメリカの白人たちは見逃していた。

私から見れば非寛容としかいいようのない一神教同士の角逐は、その現代的な要因としてのパレスチナ問題が第二次大戦後のイギリスの三枚舌の嘘(うそ)にも発していることもあって、とても容易には治まるまい。というよりも宗教的な信条としてテロによる死を恐れぬ、歴史を背にした死を賭しての報復の遂行を無上の光栄とする、襲われる側からすれば狂信的な、攻撃側の姿勢は今後も防ぎようあるまい。ことは長引こうが、結果は見えているような気がする。

これは日米戦争の末期、飛行機を駆って自爆する神風攻撃に震撼(しんかん)させられたアメリカ艦船の乗員の恐怖にも似ていようが、基本的に異なるものがある。第一に日本の特攻隊員は神格化された天皇のために死んだものなど一人もいはしない。宗教的な狂信などはどこにもなかった。第二に、彼等の攻撃対象はあくまで敵艦であって、無差別に一般市民をも巻き添えにすることなど決してあ
りはしなかった。その証左に、敗戦を知らずに最期に出撃した特攻機は、攻撃の目的のアメリカ軍基地で彼等が戦勝の祝賀のパーティーを開いているのを確かめ、近くの海に自爆している。

いずれにせよ現代の世界は、文明の進展がもたらした環境破壊とそれを防ぎきれぬ人間たちの物欲の氾濫、そして一神教同士の憎しみ合い、いわば過去の歴史が育(はぐく)んだ歴史的事実からの報復を受けているといえるだろう。

かつてアインシュタインもインドの詩人タゴールも、やがて行き詰まった世界を救うのは日本人の抱く独自の、人間的に優れた価値観だろうとはいってくれたが、金銭フェティシズムに溺(おぼ)れている現今の日本人に、はたしてその役割が果たせるだろうか。

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