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その27 「迷い羊さんという方から頂いた試聴記」


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 投稿時間:03/04/26(Sat) 14:40
 投稿者名:迷い羊
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 タイトル:カイザーサウンド試聴記2


 みなさんお待たせしました。カイザーサウンドの東京試聴室の訪問記をレポートします。ちょっと真面目になってしまいましたが、興味のある方はぜひ読んでみてください。(^_^メ)


 カイザーサウンドとは、高級インシュレーター「ローゼンクランツ」などでお馴染みの、広島に店舗を構えるオーディオショップです。

 店長の貝崎さんは、既製品の販売だけでは物足りず、長年の研究を経て、オリジナルの製品を勢力的に開発されているとてもパワフルな方です。

 その東京試聴室が門前仲町にあるというので、先日気軽な気持ちでお伺いしてきました。

 ところが・・・


 1.何もない部屋!?

 試聴室はマンションの6階にあり、間取りはごく普通のマンションの3LDK程度。部屋に入ると貝崎さんの奥さんが「ようこそ」と笑顔で出迎えてくれました。

 まるで普通のお宅にお邪魔したかのよう、いや、これは試聴室と言うより中身はまったく普通のマンションです。奥へ通されると、約12畳ほどの広さのフローリングの一間が現れます。そこにオーディオシステム一式が置いてあります。

 その部屋は試聴室と言っても、あまりに平凡で驚きます。システム以外のものと言えば、ソファにテーブル、CDラックにデスクが置いてある程度で、予想していた吸音材や反射板などは一切見当たりません(あるのは、床下に敷かれた3畳程度のムートンマットとカーテンくらい)。壁もごく普通で、室内の響きも多少ライブな程度。床もどちらかと言うとヤワな床です。

 気になるシステム構成は、CECのCDトランスポート(TL-X1)に、コードのDAコンバータ(DSC-1600E ?)、オリジナルブランドらしきプリと真空管式パワー(出力20W程度、試作機とのこと)。ハイエンド機器はありません。これらがオリジナルのラック(触るとけっこう揺らぎます)上に、なぜか下段から上段へと並べられています(つまり一番上がパワー)。

 そして特徴的な3ウェイ自作スピーカー(使用ユニットはジョーダンワッツ)。メープルのエンクロージャーの美しい縞模様が印象的です。各ユニットは「ローゼンクランツ」で有名なインシュレーターを挟んで実に美しく均等にセッティングされ、ウーハーの下には高さを稼ぐための15cmほどの台座が。それらは3点支持で、まるでスノコのような不思議なボードの上に置かれています。

 貝崎さんによると、このボードの有無でまったく音楽が変わってくるとのこと。また、ケーブル類とタップは当然ながら全てオリジナル製(直径5センチ程度の極太タイプ)で、驚くべきはタップのあまりの大きさ。鬼のようにイカツく大きいのです(重さは約20kgとか)。

 このような個性的な機器を見るのは初めてです。一体どんな演奏を聴かせてくれるのか、いやがおうにも期待が膨らみます。


 2.研ぎ澄まされた音楽

 コーヒーをいただきながら、いよいよ待望の音出しです。まずは貝崎さんのお気に入りのボーカルものから、ナタリーコールを。音量は非常に控えめです。一聴して音が非常に澄んでいるのに気づきます。尋常ではないくらいに!しかも私の部屋にあるような定在波らしきくせは全くありません。

 しかし、自分の普段のバランスとのあまりの違いに、思わず音楽がひ弱なように感じられます。「あれれ、想像してたのと違うな」そう思いながら、貝崎さんに尋ねると、彼はどちらかと言うとかなり小音量派なのだとか。「小さくとも音楽を十分楽しめるのです」そう言いながら、私のことを気遣い、ボリュームノブに手が。

 次の瞬間!!「・・・なんという質感!!」陳腐な表現ですが、目前にクリスタルのように磨き抜かれた生々しい音像が出現します。ステージは澄み切って、楽器の音触は生よりもクリア。しかも特筆すべきは、全ての音に生命力が溢れていること。

 こんな生き生きとした音楽は、今まで聴いたことがありません。この感覚は私の求める生の質感そのもの。最初に感じた音楽のひ弱さなど今は微塵もありません。「ノーマル(DA変換は44.1kHz)なのになぜ(こんなに音が澄んでいるの)!?」こんな疑問がわきます。私の経験では、これまでデジタルで音のベールを剥ぐには、アップサンプリングか精密なクロック同期をかけるかしかないと思っていたからです。

 貝崎さんにまた尋ねます。「すべてのものに”ひっかかり”がないためです。ここでは何も押さえ込むようなことはしていません・・・」そう言うと、彼はスピーカーの前へ歩み寄り、その「ひっかかり」の意味をわかりやすく説明してくれました。

 水が高い所から低い所へ流れるように、音楽にも奥から手前に、また下から上へと流れる自然のパワーがある。その流れに従ってシステムを使いこなしたり、機器を作ることが大切なのだと彼は言います。前述したスノコのようなボードにしても、お化けのようなタップにしても、一つ一つがそうした流れ(彼の言う時間軸」に基づいて作られているのだと。

 「試しにこうしてみましょう」そう言うと、貝崎さんはおもむろにそのスノコの上を覆ってみせます。すると、驚くことに、とたんに音楽が奥に引っ込み、楽器の生命力が消え失せます。まるで何かのマジックでも見せられているかのよう。その時「自分は今まで何をしてきたのか・・・」そういう気持ちでいっぱいになりました。「自分は歪んだ音を、ただ強調して満足していたんだな・・・」そう気づかされたような瞬間でした。


 3.この人は仙人!?

 今そこにある音楽の心地よさと「どうしたらこんな音が?」といった疑問との複雑な気持ちの中で、多分その時私は相当険しい顔をしていたのでしょう。

 見かねた貝崎さんが「今度はもってきていただいたディスクを聴いてみますか?」と優しく声をかけてくれます。深呼吸して、まずはフォープレイの「Between the Sheets」から1曲目をリクエストします。この曲は今の自分の腕ではとても満足な演奏ができません。

 ところがここではどうでしょう。曲が始まるや、まったく別物に聴こえます。音量は同じなのにピアニッシモはより小さく、フォルティッシモでは怒涛のようにほとばしるエネルギーを感じます。圧巻。「なるほど、こう聴こえるのか・・・」いつの間にか、しだいに自分の聴覚が研ぎ澄まされるのを感じます。「このへんは(自分の音と)全然違うな・・・」心の中の呟きが聴こえます。

 突然、それに貝崎さんが答えます。「ドラムのスピード感はスピーカーの前後の位置が原因ですよ・・・」私はまたも唖然とします。貝崎さんには私の悩みが既にわかっているようです。「この人は仙人だな・・・」私は思わずそう思いました。


 4.鉢植えコントロール!?

 「いらっしゃいませ!」ハッとして振り向くと、貝崎さんの隣に見知らぬ1人の若者が立っています。どうやら貝崎さんの息子さんのようです。歳は25前後だとか。若い!「いつもご家族で広島と東京を往復されているのか・・・」仲の良いご家族の姿を想像し、微笑ましい気持ちで頬が緩みます。

 しかし不思議なことに、彼の表情はみるみる険しくなっていきます。そして思い立ったように、彼はついにはスピーカーの背後にまわって、何やら調整を始めてしまいました。

 その場でじっと目を閉じ、しばらく音楽に集中し、また立ち上がっては近くの鉢植えの位置をずらしていきます。時には大胆に、時には微妙に。鉢植えは全部で3つあり、高さはそれぞれ70、50、30センチ程度。それらがスピーカーの周りになんともアンバランスな配置で置かれています。「(鉢植えの)大が低域で、中が中域、小は高域なんです・・・」貝崎さんがつぶやきます。

 驚いたことに、なんと彼は、その鉢植えの位置で音域のコントロールをしていたのです。

 とりわけ彼は「中」の位置が気になる様子。私は信じられず、思わず彼に「そんな所(スピーカーの裏側)にいて音がわかるのですか?」と尋ねてみました。「いつも感覚から頭で計算するんですよ・・・」またまた唖然とするばかりです。

 演奏中のディスクは、ハリーベラフォンテの「At Carnegie Hall」のライブ盤。なんと、ただでさえ尋常でないボーカルの肉声感が、その艶やかさや生命感において、コロコロ表情を変えるではありませんか。50年代のカーネギーホールに、まるでトリップしたかのような臨場感。体は震え、汗が噴きだします。

 これがあの「ひっかかり」が消えた瞬間なのだ!

 その時、私は少しだけ、貝崎さんに近づけたような気がしました。


 5.「迷い」からの卒業・・・

 今回貝崎さんの演奏を聴いて、私はますますオーディオがわからなくなりました。これまでハイエンド機器に憧れ続けてきた自分は一体何なのか!?よくわからなくなったからなのです。

 貝崎さんの演奏は実に素晴らしいものでした。決してハイエンドとは言えない機器たちが、何の特殊な防音反響設備もない日常的な部屋で、楽器の生音のパワーさながらに、実に生き生きとその場で「再」演奏される姿に、私は純粋に感動しました。

 正直、私はかなり打ちのめされました。けれども、同時に嬉しさも感じたのです。それは今までの生演奏を聴くたびに感じた、自分の中にあったオーディオと生音とのギャップを、また1つ埋められたからに違いありません。

 私の中にあったオーディオへの迷いは、もうなくなりそうです。

 「迷い」羊はもう卒業です・・・。


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