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那須高原の新雪


 寒波到来で躊躇してした栃木訪問も、思い切って決行したのが私達親子にとって吉と出ました。それは、”きれいな雪景色”に出会うことが出来たからです。この日の11時頃に大田原市のFさん宅に行く約束をしていましたので、それまでの3時間ほどを観光に宛てました。

 朝の8時にドームの別荘に別れを告げ、チェーン無しで行ける所まで行こうと那須高原に向けて出発しました。雑木林が切れた途端に目の前に広がってきたのは”那須山麓の雪景色”です。一瞬!、我が目を疑いました。


 海を除いた3方をすぐ山に囲まれた広島に長年住んでいますので、走れども、走れども、山に出くわす事の無い関東平野の広さに昨日から圧倒されていたところです。日本にもこんな所があったのかと驚きました。人口臭のする物はそこには何も見当たりません。

 朝霧とも、雲とも区別の付かないような、ふわふわとした雲海のマフラーを身にまとっているようです。思わず車を停めて、カメラのシャッターを切りました。そして、途中、右に行けば那須の御用邸という表示のある分かれ道のところを直進して那須温泉の方へ向かいます。


 高原に入るとすぐに銀色をした樹氷のアーチが、ワインレッドのJAGUARを歓迎してくれているかのように延々と続いているのです。車の中からでもその色のコントラストが大変美しく感じるので、運転席からそれが分かるように意識したフレーミングで撮りました。

 高級な別荘やレストラン、また、素敵なペンションが沢山現れます。それでも構わずドンドンと登って行きますと、大きな石で出来た温泉神社と書いた鳥居が目に入ってきました。そろそろ路面が怪しくなってきたので、そこで車を停め谷間の方を眺めますと、殺生石(さっしょうせき)の遺跡がその上の方にあると書いてあります。息子と二人で”キュッ”、”キュッ”と音のする新雪を踏みしめながらそこを目指します。


 その”殺生石”の由来についての説明を見ますと、こうあります。「白面金毛九尾」=白い顔をした、金色の毛の九つの尾っぽを持った女狐が、昔アジア大陸で悪事を働いていた。ある時、日本に渡って来て、那須の地で女官に化けて鳥羽院に仕えていたのを占い師の安部康成に正体を見破られ、征伐隊に矢で射られた後、大きな毒石に化けたそうです。

 近ずく者にはその猛毒を振るって恐れられていたのを、源翁和尚がその石に向かって大乗経をあげると三つに割れて飛び散り、その一つがここに残っているそうです。

 帰り道に、何故か引かれる民芸土産店が目に入ったので、そこでコーヒーを飲んで一服しました。店内には溢れんばかりのみやげ物で一杯ですが、気をつけて見るとホコリ一つしていない事に気がつきます。店主の拘りと愛情が自然とメッセージとなって伝わって来るのです。


 また、置いてある物どれをとってもほのぼのとした魅力を醸し出しています。不思議な力を感じます。目に留まったこの古い建物の柱には木の釘が使われており、おそらく、2〜300年前の物だろうと思って尋ねると、やはり、250年前の建物らしい。

 店内に居る人達の顔が皆似ており、家族で経営しているのがすぐに分かります。その一人一人の顔がすごく”素敵”で”輝いている”のです。「立派な両親の元で育てられたのだろうなぁ?」と無意識にそう感じてしまいます。


 すると、息子さんだろうと思える成人前の店員さんが、「この店の店主が書いた物です」と説明してくれた絵葉書などは、”ほのぼの”とした気持ちにさせてくれるものを伝えてきます。同じ商売をする者として、私は沢山の事を教えられてしまいました。もっと、”自然体の心の在りようにならなければ”と感じつつ、この「みちづれ」という店を後にしました。

 栃木県に対してとってもいい印象の余韻を感じながら里の方へ下って行きます。その道の両脇には銀色の綿帽子をかぶった樹氷達がまたもや全員で、来た時と同じように笑顔で見送ってくれるのでした。


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