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カイザーサウンドの原点、四国を往く



転勤で単身赴任している友人の招きで貝崎さんの故郷、愛媛とお隣の香川に行って参りました。鹿児島から片道700キロを越える長旅ですが、高速の休日割引のおかげで片道千円で行けるわけですから利用しない手はありません。愛車に友人の好きな焼酎を何本も載せて金曜の夜に出発しました。

 きっかけは焼酎の話から

愛媛に単身赴任中の友人のU(熊本出身)から電話来る。

「お〜い、あんたの地元で作っとる「○○」(有名な焼酎の銘柄)は手に入らんね。」

「入らんことはないけど、あんなんよりもっとうまいのがあるけん・・・。」

「なら、それでよかばい。」

「よかよ。でも、近くの店にはないけんちょっと時間をくれんね。」

「うーん、待てんなー。こっちには△△しかないんよ。もう、買うてからそのままこっちに来んね!オイもいつまでもここにおるわけやなかけん。早よ遊びに来んな!」

「そうやなあ、ほなら行こか!」

と、いうやりとりであっさりと四国行きが決まってしまったのであった。

 瀬戸内は海のまほろば

四国行きは学生時代以来27年ぶり。その当時は本四架橋が建設中で西宮からフェリーで高松に渡ったので今回初めて本四架橋を渡ることになる。

山陽道福山西から今治方面にしまなみ海道を行く頃にはもう朝の8時頃。久しぶりに見る瀬戸内の海になんとも懐かしい感情が沸き起こってきた。それも久しぶりにという意味での懐かしさではなくもっと根源的なもの、記憶に奥底にあるノスタルジーのような感情を喚起させられるのである。

それは日本の文化を長く育んできた海であり、その島々や対岸の土地には長い歳月に渡り人々の暮らしが営まれてきた、その想像を遥かに超えた時間の積み重ねを穏やかな海と島々の連なりから感じるのである。

大和盆地が陸の国のまほろばなら、瀬戸内はさしずめ海のまほろば。太平洋や日本海など他の海では起こってこない別種の感慨がこの海にはある。

 人々の暮らしが今なお息づく四国の小京都、内子

友人の住まう西条に着いてからしばらくして内陸部の内子に向かう。全国に小京都を名乗る土地は多くあるが、大概は余りにも観光化され失望させられることが多く、今回も余り期待せずに内子へ。ところが、ここはあまり観光客に媚びる様子もなく、人々の暮らしを大きく変えることなく古い町並みが残っている。

ダイハツやスバルの使い古された商用車が妙に似合う気取りのない、人の息遣いや暮らしの匂いのする町はこの手の観光地では珍しい。どうぞこのままの状態を永く保ってほしいものだ。

 寺社の多さと大事にする地元の人たち

お遍路さんの土地柄か四国は寺社の多さが目立つ。そのうえ大小多数の寺社仏閣がどれもよい状態に保たれている様子が伝わってくる。地元の人たちが先祖代々引き継いで日々大事にされておられるのであろう。久しぶりに「鎮守の杜」という言葉を思い出した。

また、四国には明治政府の方針で分離断絶させられたはずの神仏習合の伝統が色濃く残っているような気がする。さすが弘法大師を生んだ国である。

 豊かな食文化に舌鼓を打つ

食いしん坊の私にとって旅の第一の目的は食にあった。前回高松を訪れたときに感動したうどんはブームになった後も相変わらず美味しく、太く腰の強い麺には関西や博多のうどんにはない力強さがある。汁も昆布をベースにした関西のものよりも魚のだしの旨みをより感じる。関西風の洗練はないが海の恵みの豊かさをより強く実感する味である。

愛媛のじゃこ天はお目当てのひとつ。時間の都合で本場の八幡浜のじゃこ天を購うこことは無理だったが松山の近郊で求めたそれは十分美味しいもので満足できた。

同じような材料を使って油で揚げた食品にわがさつま揚げがあるが、近年は高級化の道を歩んでおり、洗練と引き換えにかつての素朴な力強さを失いつつある。ところがこのじゃこ天はいまだ漁師町の日常の食べ物であった時代の素朴さを保っていていたく感心した。

他にも魚介類は当然美味しく、特に白身は美味、和菓子も美味しいものばかりと、今回の旅ではすべての食べ物が美味しく満足の至り。四国の海と田園の豊かさが食べ物から伝わってくる。

 身の丈にあった暮らし

愛媛、香川を車で巡っていて発見したのは大きな車が少ないこと。九州で目立つ大きなミニバンも割合は九州の半分くらいでセダンも3リットル級の大型車は少ない。代わりに目立つのは軽自動車とリッターカークラスの小さな車である。

四国の人たちは虚栄を張ることを良しとしない傾向があるのだろうか。身の丈にあった選択をしている印象があり非常に好ましく思えた。これは足るを知るということか。九州人は意外に見栄坊のところがありぜひ見習いたいところである。

 中央から適度に遮断された地域

現代は世界的にはアメリカングローバリズム、国内的には東京の一極集中、イコール地方の東京化が猛烈な勢いで進んでいるが、四方を取り囲む海のせいか、橋がかかったとはいえよい意味で島国のメカニズムが働いているようで他の地方よりも東京文化の色、臭いが希薄です。むしろ、距離的には四国よりも遠い九州のほうが東京の影響を強く受けている印象がある。これも四国が独特の風土を保っている一因ではないだろうか。

 受容と慈愛の精神に富む土地柄

今回、愛媛は初めての来訪、香川も27年ぶりに訪れたというのに最初からまったく違和感がなく気疲れしなかった。熊本から転勤した友人も文化的な相違はあるがあまり違和感はないという。四国の人には受容の精神があるのだろう。

四国へ向かう途中での因島のサービスエリアにはつばめが巣を作っていて人々が興味深く眺めていたが、これはここだけの例外ではなく、帰りの与島のサービスエリアでもつばめの巣があったのには驚いた。現代の経済効率重視、機能重視の論理では撤去されて当然のはず。それを利用者の不便を承知で残しているのである。少し前の日本人にはこういう小動物などの他を慈しむ精神があったが今はどうだろう。いまだここの人たちにはそういう心根が残っているのだと感銘を受けた。これもお遍路さんの土地柄がこの受容と慈愛の精神を育むのであろう。それともそういう土地柄ゆえにお遍路さんが存続するのだろうか。いずれにせよ、こういう風土が心迷える人々を四国へといざなうのである。つばめも九州よりも数多く飛び回っているように思えたのは気のせいばかりでもあるまい。

あと、歴史を通じて強大な権力者が君臨することが少なかったのか、それとも地理的に近く歴史的つながりも深い近畿の影響なのか、九州と比べて武家的(封建的)な風土をあまり感じない。武家中心の社会は公(お上)の論理が強くなり、体制維持のための非情な論理がまかり通ることがあるが、四国では常民が世の中を支えて来たような気がしてならない。

 心の奥底まで染み入る瀬戸内の夕景

帰りはわざわざ遠回りをして香川から瀬戸中央道を通って岡山に出るルートを選択した。瀬戸大橋から望む瀬戸内の夕景は、この海で演じられてきたさまざまな歴史上の争いや人々の醜いいさかいごともすべて包み込んで昇華する、そんな懐の深さを秘めた美しさで人間臭くも神々しい。一日が終わり夜が明けると新しい一日が来る、そんな再生のプロセスを感じさせる光景でもある。茜色に染まる海に幾重にも折り重なって浮かぶ島々には古来の神々がふと腰を下ろして一休みしているような気配さへ感じられる。

短い間の来訪ながら、他所では味わえないさまざまな思いを胸に抱いて瀬戸の海を後にした。

カイザーサウンドの創業は広島ですが四国を訪れてみて、原点はここにありと感じました。瀬戸内の海で有史以来営まれてきた人々の暮らし、狭隘な土地においてあるときはお互いの足を引っ張ったり、あるときは助け合ったりして肩寄せ合って暮らしてきた歴史。そして、藤原純友の乱や源平の合戦に象徴されるような幾多の歴史上の争い、惨劇。海と田園が育んだ豊かな食文化。海の道によりもたらされた仏教を初めとする外来文化。弘法大師以来の宗教風土とお遍路さんに象徴される縁を重視する気質。それらは貝崎さんの作り出す音にすべて込められていると感じます。

久しぶりにまた訪れてみたいと思わせるそんな旅でした。やっぱり旅はいいですね。日々の垢を洗い落とし、明日への希望を新たにすることができました。

追記 帰りに山陽道のサービスエリアで食べた尾道ラーメンは噂どおりの美味しさ。

サービスエリアでこの美味さなら尾道で食べる本物はいかばかりか。

瀬戸内文化圏、恐るべし。次は徳島ラーメンも食してみたいですね。




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