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歌の原点を教えてくれるマエストロ



 ----- Original Message -----
 
From: T.T
 
To: 'info@rosenkranz-jp.com'
 
Sent: Tuesday, December 23, 2008 9:39 AM
 
Subject: 歌の原点を教えてくれるマエストロ

 貝崎さま

 やはり日本人なのでしょう、昭和の歌謡曲に続いて民謡を聞き始めました。民謡は民族のDNAに訴えるためか誤魔化しが効かない音楽です。録音の方も流行歌とは違って余りいじっていないので装置の素性がもろに暴露されます。(ビクター、テイチク、コロムビア、キングなどかなり良い音です。)

 ジョーダンワッツのときにすでに感じていましたが、民謡はフルレンジでないとその本領を発揮してくれません。マルチウェイでは声の音色だけでなくその出方に違和感を感じます。民謡を歌う人の多くがラジカセを愛用しているのはある意味当然だと思います。人間国宝の邦楽奏者がBOSEを愛用しているという広告を目にしたことがありますが、これもフルレンジゆえでしょう。

 さて、マエストロで民謡を聴いていると民謡の本質が分かってきます。民謡は神に捧げる歌、祝いの歌、労働歌などと解釈されていますが、モンゴルの民族音楽であるホーミーのように広い範囲に自分の存在を知らしめるために歌うという役割もあるということです。

 つまり遠くまで声が届くような歌唱が求められるということです。人口も今ほど密でなかった時代、野山に分け入るとまわりに誰も視界に入らないことも多かったでしょう。日が暮れると人里近くでも闇になります。そのなかで大きく歌うことで自分の存在を知らせる役目があったのではないでしょうか。

 獣を封じる意味もあったと思います。特に追分などはその傾向を強く感じますし、座敷唄では当然その傾向は減じられます。マエストロはその”遠くまで声が届くような”歌い方を分からせてくれるのです。

 それはイタリアオペラでも同じことが言えます。コロセウムのような屋外の歌劇場で遠くの観客まで声を届ける。それがイタリアオペラの歌唱法の本質のように思います。最近はその本質を忘れたような歌手が増えているような気がするのが気がかりですが。。。

 マエストロのおかげで単なる感覚の愉悦ではない音楽の本質が分かってきます。

 本当に素晴らしいことです。

 T.T


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