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機器の性能と人間の能力


 「機材の性能が上がるほどに音楽が遠のいて行く」。

 最近こんな風に感じる場面に出くわすことが多くなったようで仕方ありません。

 電源を強化した時、コンポーネントの性能を上げた時、

 ケーブルやインシュレーターのグレードを上げた時。

 『音は良くなったのは確かなんですが、聴いていて楽しくない、疲れる・・・』。

 こんな相談を沢山頂くのです。


 お伺いしてみると、音楽が楽しめるどころか苦痛さえ感じるような鳴り方の何と多い事か・・・。

 この業界の進もうとしている方向がこれでいいのか?。

 技術革新による機器の性能を上げる事が、

 素晴らしい音楽を手に入れる事に直結しているとの思い込みが過ぎるのではないのか・・・?。

 何かを見落としたまま、

 音楽ファンの思いとは違った方向に業界が進もうとしているのではないか・・・?。


 音楽を楽しむ事にそんなに機材の性能を必要とするのだろうか・・・?。

 そんな思いが日増しに強くなって来るのです。

 
 決して作る側に問題があるとは思いません。

 「車の動力性能が凄過ぎて運転出来るドライバーが見当たらない」そんな感じです。


 あまりにも高度なセッティングを要求するので、

 ちょっとした事でバランスを崩してしまうのです。

 でも、今日のような高性能な音で音楽を楽しめるのも、

 技術革新無くしては有り得ないのも事実です。

 今までは今まで、しかしこのすぐ先が踊り場のような気がしてなりません。
 
 過渡期という解釈だけでは済まないような気がします。

 
 例えば、クロックの性能を上げたからといって、

 即音楽性が上がることに直結するとは思えないのです。

 もちろん精度が上がる事において反対の立場を取るものではありませんが、

 でも何かしらシックリ来るものがないのも事実なんです。

 その精度や性能に対して他の物がついてこれない、

 あるいはバランスが崩れた状態になるのだろうと思います。

 機器が生み出す音の性能と生身の人間の能力との関係が、

 相互にコミュニケーションを計りながら同時進行すべきです。

 どうやら今のストレス時代とも関係があるようです。


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