善通寺は弘法大師誕生の地として有名です。駐車場側から入った私達は門前通りがある本来の入り口とは反対である事に途中で気づきました。
どこか中国風を思わせる石橋です。案内板を見ると、この済世橋とは弘法大師が中国へ修行に出向かれた際に、渡ったとされる洛水に掛かる名橋天津橋を復元したものだと知りました。
橋を渡ったすぐ左手にはビルマ戦没者慰霊塔がありました。石手寺にもあったので四国から大勢の人々がビルマ戦線へ出征したのが分かります。善通寺は四国随一の陸軍駐屯地がありました。
その更に左奥に遍照閣という比較的新しい社があります。弘法大師1150年御遠忌記念として昭和60年に建立され、中は八十八ヶ所お砂踏み道場として、その地の砂が各々の寺のご本尊と共に回廊に敷かれています。その大仏様や如来様の悟りを啓かれた表情を拝むにつけ、我も含め現代人相の貧たるを覚えるしかありません。
八十八体すべて違うにも係わらず、何の隔たりも違いも感じない無なる世界に驚きを憶えました。仏体を彫られた方は明治、大正、昭和のいずれかの生まれの方でしょうから、自分と同じ時代を生きて来られた事だけは確かです。人としての格の違いをまざまざと見せつけられた思いがしました。
五円玉八十八個を買い求めている参拝者を見て、窓口に用意してあったのを帰り際に知ったのでした。お賽銭無しで参ったのと、八十八個のお賽銭で参るのとどちらが良かったのかは自分の中で答えが出ずじまいでした。
また、直接八十八ヶ所をお参りした訳でもないのに、安易な疑似体験に幾ばくかのわだかまりを憶えたのも紛れの無い事実です。いずれにしましても遍照閣では衝撃を受けました。
東院と西院
善通寺は東院と西院に別れていて、お大師さまが自ら建立された、もともとの「善通寺」が東院です。西院はお大師さまの出自の佐伯家の邸宅のあった場所で、お大師様お誕生の聖地なのです。御影堂が西院の主社で、その地下には100mの「戒壇めぐり」があり、暗闇の中宝号を唱えながら大師と結縁する道場となっています。
仁王門が西院の正門にあたり、左右に金剛力士像が立っています。この前の石橋と中門を挟んで東院があります。東院の中門から東門までの本堂を囲むようにコの字を描く塀沿いに五百体もの羅漢があります。
悟りを啓いた聖者とのイメージがある羅漢なのに、私にはどの顔もそうは見えませんでした。むしろ、生きる事の難しさを物語っているようにさえ感じました。
南大門即ち正門を入ると右手に善通寺のシンボルである五重塔がそびえ、正面に本殿の金堂があります。そのそばの御守所で、善通寺にある楠から作られている般若心経が彫り込まれた数珠を記念に購入しました。それにしても善通寺の境内は広いです。
東門を出たところにお遍路さんに雇われたと思われる、
黒塗りのハイヤーが停まっていたので、
その運転手さんに、
「琴電ですか?」 と、尋ねると。
『いいえ、高知から来ました』との返事にビックリ!
「高知からハイヤーを貸切でお参りするなんて、
随分とお金持ちの方なんですね?」
『そうです!、この方は既に八十八ヶ所参りを百回以上数えますから』
「へぇぇ〜! 驚いたものです・・・」
一日3万で借り切ったとして、大急ぎで8ヶ所お参り出来たとしても11回要します。1回を33万円と低く見積もっても、100回となると3,300万という額になります。
何がそうさせるのでしょうか?!
お遍路さん各々に考えがあるのでしょう・・・。
人生とは如何なるものか?!
大きな課題を投げ掛けられた思いです。
善通寺公式HP
http://www.zentsuji.com/