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日本ハム・大谷の160キロは速くないのか

日本経済新聞 2014/8/18 ダイヤモンドの人間学(広澤克実)

161キロなら0.38秒でホームベース通過

ピッチャーマウンドのプレートからホームベースまでは18.44メートル。そこから大谷がおおよそ1.44メートル踏み出して投げたと仮定すると、単純計算で0.38秒でボールがホームベースを通過することになる。

人間の目は「光」を通して「見える」という仕組みになっているのだが、見えるまでには時間がかかる。光から映像を取り入れ、フォーカス(焦点)が合うまで約0.1秒かかるといわれている。

筋肉は脳からの微弱な電気信号によって動く。つまり、手や足などの筋肉はすべて、脳からの命令によって動くのだが、それにも時間がかかり、筋肉が動くまでにトップアスリートで約0.1秒かかるのだ。

ちなみに、これらの能力は年齢を追うごとに低下し、焦点を合わせたり、筋肉を動かすといった脳からの伝達スピードにも影響を与える。プロの打者が衰えるということは体力や気力の衰えよりこうした能力の衰えが多いのだが、残念なことに30〜40歳代ではこうした能力の衰えに自覚症状がほとんどなく、衰えたと気づく選手は少ない。

140キロの速球でも0.1秒で約3.8メートルもボールが動き、0.01秒でも38センチ動くわけで、わずかな衰えがバットコントロールに影響を与えるのは当然といえる。


160キロ投げても敗戦投手の不思議

話を戻すと、160キロを超える速球に対しては「見える」までの時間と「打て」と脳が信号を送る時間だけでも0.2秒かかってしまい、その瞬間にはすでに、ボールは投手→捕手間を半分以上過ぎていることになる。

その条件で打者は「内角・外角」「高め・低め」「ストライク・ボール」「打つ・打たない」という判断をするわけで、そこに残されたわずかな時間を考えると、いかに160キロの速球を打つということが至難の業かわかってもらえるだろう。

そんな球がなぜ簡単にバットに当たるのか、不思議に思う人は多いと思う。3日の大谷は7回を投げて9安打、2失点。金子圭輔、今宮健太に適時打を喫し、10勝を前に足踏みとなった。

7回2失点ということは、先発投手の責任を果たしたことになるが、150キロ台後半から160キロの球を連発しながらバットに当てられ、その上敗戦投手になることを不思議に思う人も多いはずだ。

一方で、若き日の中日・山本昌のように130キロ台半ばの球でも最多勝にも最多奪三振王にも輝くことがある。何とも不思議なことである。そこには野球選手の途方もない優れた能力が隠されている。

この現象を説明する前に一つだけ断っておかなければならないのは、160キロを超える速球を投げられる人間は尋常ではない能力の持ち主であるということ。160キロ超の速球はプロの目から見ても超人的である。


打撃は「予測」の下に成り立つ作業

では、なぜ160キロの球を投げる投手が負け、130キロ台の球を投げる投手が勝つような現象が起こるのか、その答えは打撃という作業が「予測」の下に成り立っているからである。ここでいう予測とは球種やコースにあらかじめ的を絞るような行為ではない。

もっと単純な予測で、簡単にいうと過去から未来を予測する行為のことである。投手の手元からボールが離れコンマ何秒かの時点で、どんな球種でどのコースに来るか、それと同時にストライクかボールか、そして打つか打たないか判断する場所がある。このエリアで打者は“未来”を予測するのだ。

たとえば球は空気抵抗で必ず減速するし、重力もあるので厳密にいえばどんなボールも沈むことになる。それらのことを瞬時に計算して「たぶんここを通過するだろう」と思われるところにバットを振り出す。つまり、過去から得た情報を瞬時に分析して、未来を予測しているのだ。

打者はこの予測行為を、少年野球のころから、何万回、ひょっとすると何百万回と繰り返した経験に基づいて行っている。しかも、この能力は努力さえすれば誰もが得られる能力ではない。選ばれし人間が、並々ならぬ努力をして得られるものなのである。


打者の予測超える球投げるのが好投手

ところが打つプロがいる一方で投げるプロも存在するわけで、打者が何万回も努力して得た予測の能力を狂わす投手が現れる。果てしない努力と経験の上に成り立つ打者の予測行為を超える球を投げる投手こそが好投手ということである。

その意味で大谷の速球は打者の予測通りの球質になってしまっているのだ。もちろん、速さは超人的なので、なかなか対応しづらいことは確かだが、ある程度打者の予測通りに来るのでバットに当たるのだ。仮に大谷の球が150キロに満たないストレートであればプロの打者はもっと容易に打ち返しているだろう。

余談だが、球が投手の手から離れて、打者が球質などを判断し未来を予測する場所のことを私は「Fゾーン」と名付けている。勝手に名付けてしまったが、今までこの大事なゾーンのことを誰もネーミングしなかったのはむしろ不思議なくらいだ。それくらいこのゾーンは打者にとって大事なポイントなのだ。


打者によってまちまちのFゾーン

FゾーンのFはフォーカスのF。球に焦点を合わせて見定め、バットを振るか振らないかの決断を下すゾーンだからFゾーン。では、そのFゾーンとは一体どのあたりかということになるが、これは打者によるとしかいえない。ただ、Fゾーンがホームベース寄り、つまり打者に近ければ近いほど、優れた打者だということは間違いない。

Fゾーンが投手寄り、つまり打者から遠くなればなるほど予想と実際の誤差が大きくなる確率が高くなる。反対に球の判断をぎりぎりまで遅らせて、手元にひき付けることができれば誤差を小さくできる。これには打者のバットスピードやバットのヘッドが遠回りしないなどいろいろな要素が関係してくる。

2000年の日本シリーズは長嶋茂雄監督率いる巨人と王貞治監督率いるダイエーとの「ON対決」となった。当時、ダイエーの正捕手だった城島健司が巨人の主砲松井秀喜を打席に迎えたときの話である。


打者の予想と誤差少ない?大谷の球

ダイエーの投手がど真ん中にボールを投げてしまった。その瞬間、城島も「あっ」と声を出しそうな甘いボールだったという。ところが松井はバットを振ってこなかった。城島が「良かった、見逃してくれた」と思った瞬間、松井のバットが目の前に出てきてものの見事にホームランにしたそうだ。城島は「あのタイミングでバットが出てくるバッターは初めてだ」と後日語っていた。

あのシリーズ、3本塁打8打点でMVPに輝いた松井のFゾーンが、あの城島でもビックリするような近さだったということだ。

大谷の直球ほどのスピードがあれば、どんな打者でも通常よりFゾーンは投手寄りになるはずだ。つまり、普通の投手より早めに振るか振らないかの決断をしなければならないが、その割に空振りが少ないということは、大谷の球が打者の予想との誤差をさほど生まない球だということがいえよう。ただし、繰り返しになるが、160キロを超える速球を投げられる人間は神から選ばれた人間であるということは強調しておきたい。


予測しづらい球、方法論確立すれば…

ちなみに、その反対のボールを投げる、つまり、予測しづらいボールを投げる投手の代表選手が藤川球児(カブス)である。阪神時代の藤川はオールスター戦でパ・リーグの強打者たちを直球一本で牛耳った。もちろん絶対的なスピードもあったが、それ以上に彼の投げる速球が打者に予想を立てることすら許さなかったのだ。

藤川まではいかないとしても、似たような予測しづらいボールを投げる投手として上原浩治(レッドソックス)、杉内俊哉(巨人)、和田毅(カブス)、山本昌、能見篤史(阪神)らが挙げられる。すべて160キロの速球は投げられないが、三振を奪える投手である。彼らがどのような方法を使って予測しづらいボールを投げているのかは、実は定かではない。

周囲約23cm、重さ147グラム前後の球体をどうすれば、予測しづらい球質になるのか、野球界にはいまだその方法論を確立した人間はいない。

となると空気力学といった物理の専門家に、その答えを求めるしかない。もし、大谷が物理の専門家とタッグを組めばとんでもないことが起こり得る。もし、そのような方法論が確立されれば140キロの速球でも十分にプロ野球界で活躍できるということになるはずだ。この夢のような方法論が確立される日が待ち遠しい。

広澤克実(野球評論家)




オーディオアスリートの私にとって、

これほどオーディオ製品の設計に役立つ分析はない。

測定データーの静特性と実戦の動特性と言える。

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