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尊敬する李登輝元総統から一体何を学んだのか…

2011.6.16 01:05 MSNニュース

「首相になることが目的ならば、そこで終わりなのである。目的と手段が混乱してしまい、せっかく首相になっても何をすればよいのか分からない」

14日の参院東日本復興特別委員会。自民党の丸山和也氏は、台湾の李登輝元総統の著書を引用して「失礼だが、今の首相に向けられている言葉ではないか」と問うた。

すると菅直人首相はこう答えた。

「李登輝さんは私の尊敬する人物の一人です」

質疑がかみ合わないのはいつものことだが、よくもいけしゃあしゃあと言えたものである。尊敬するのは勝手だが、その言葉の重みがまるで分かっていない。

東日本大震災にあたって台湾から政府・民間を合わせ約175億円(12日現在)の義援金が寄せられた。世界最大級の支援だが、首相はそれに報いてきたといえるのか。そもそも首相は、李氏に一体何を学んできたのか。

「歴史をよく調べれば、沖縄・尖閣諸島は日本に領有権があるのは明確だ」

李氏は昨年10月、訪台した安倍晋三元首相と会談した際、こう明言した。台湾政府が中国同様に尖閣諸島の領有権を主張する中、元総統の発言は極めて重い。

ときはまさに、首相が中国の圧力に屈し、尖閣諸島沖で衝突事件を起こした中国人船長を超法規的に釈放させた直後だった。首相のその場しのぎで稚拙な対中外交に、李氏は眉をひそめていたに違いない。

李氏は平成19年6月の来日の際、靖国神社に参拝した。首相は「首相や閣僚が公式参拝することには問題がある」と答弁した。日本統治時代の台湾に育った李氏の方が、首相よりよほど日本的美質を備えていると言える

そんな李氏は著書で政治家の心得をこう記した。

「問題に直面したとき決して直線で考えないことだ。必ず迂回(うかい)すること、むしろ回り道を見つけだそうと務めるべきなのである」

残念ながら、首相の政治手法はこれと正反対だといえる。物事を進めるための手順や手続き、調整を一切無視するため、いつも「言いっ放し」に終わり、何も実現できない。

首相は14年11月に訪台し、李氏と会談した時の印象を自らのホームページにこう記している。

「日本の旧制高校の教育を受けた人の雰囲気を強く感じた。(中略)日本人が失いかけている自信を取り戻す良い話を多く聞かせてもらった」

李氏は古事記や源氏物語、ゲーテ、ドストエフスキー、マルクス、カント、論語、聖書−と古今東西の古典をひもとき、哲人政治家と称される。その謦咳(けいがい)に接した首相の言動から、李氏の素養から学んだ形跡はうかがえない。

李氏は月刊「WiLL」(2月号)の対談で日本政治の現状をこう憂えた。

「『権力』というのは権力者のものではなく、何か決定を下すときに人民から借りて、そのあと返すものです。そのことがわかっているかどうか」

首相は、この発言が自分に向けられていると気付いているのか。たぶん読んでもいないのではないか。

「過失をおかしながら忠臣のことばを聴きいれず、一人で自分の思ったとおりにしていると、名声を失って人の笑いものになっていく始まりである」

これは韓非子の言葉だ。早期退陣を促す周囲の声に耳を貸さず、延命に汲々(きゅうきゅう)としている首相そのものではないか。李氏のように古典に親しんでいれば、鏡に映る無能かつ危険な暴君の姿にわれに返るはずだが、望むべくもない。それならば、せめて李氏の爪の垢(あか)を煎じて飲み、潔く身を引くべきではないか。(阿比留瑠比)


産経の記者である阿比留瑠比(あびるるい)さんは、日本の最高権力者である菅首相に対して、ペン一本で堂々と戦っている姿に私は胸を打たれます。

日本の為に戦って散って行った日の丸特攻隊の姿とダブってなりません。銃とペン、手に持つ武器に違いはあれ、記者魂を思う存分発揮しています。

国民を思う気持ちがひしひしと伝わって来ます。
 阿比留氏は歴史に名を残す程の働きぶりでです。

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