トップ情報日本国民は日本という国をどんな国にしたいのか?>(1)国難に直面して、いま、民主党議員は何をなすべきか

(1)国難に直面して、いま、民主党議員は何をなすべきか

(1)国難に直面して、いま、民主党議員は何をなすべきか
 参議院議長 西岡武夫

はじめに

「イタリア」の脱原発の中身と日本の現実

イタリアの野党民主党トップのベルサニ書記長は、先の原発、水道事業の民営化等についての国民投票の結果を受けて、「イタリア国民とベルルスコーニ政府との離婚は確定した」と述べました。

しかし、イタリアは、自国内の完全な脱原発を決めたものの、国内電力の20%をフランスの原発から輸入しているのが実態です。さらに、石油は中東から、天然ガスはアフリカに依存しています。それらが、電力料金を高騰させ、イタリアの国民、企業を直撃しています。これが、イタリアの急速な脱原発政策の実態です。

同じく脱原発を公式に決定したドイツの場合は、優れた科学技術によって自然エネルギーの活用を今後の基本としつつも、現時点での風力発電量は2%です。

一方、環境問題をさておけば、国内に石炭の埋蔵量(採掘可能な400億トン)を有し、石炭火力による発電が全電力の44%を占めていることを忘れてはいけません。

さらに、イタリアと同様にフランスの原発の送電網との直結が有ります。

これらの実態と比較して、日本の置かれている厳しい現実を考えれば、現時点で、「脱原発」という単純なものの言い方を内閣総理大臣が軽々しく口にすべきではないはずです。


エネルギー政策の基本と今後の政策

国政における政策の基本は、第一に、「国民の生命」と生活を護り、その財産と領土を守るということです。

当然、原子力エネルギー政策も、福島原発事故後、根本から再検討すべきです。なかでも、3月11以降、これからのエネルギーの大宗(たいそう)が自然エネルギーに移ったことは事実です。

問題は、その転換の進め方なのです。

原子爆弾投下の瞬間を自分の目で見た私にとって、「放射能」という三文字には、特別の響きがあります。

私は、原爆投下による爆風と放射能・放射線が一瞬にして7万余(その中に私の親戚も)の命を奪った郷土長崎の惨状を見、その後、与党の被爆者対策の責任者として取り組んできた唯一人の現職の国会議員です。

その私が、原発事故以来、4カ月余の菅首相の姿勢と言動に、強い憤りを覚えています。

日本の原発は、もともと世界最高の技術で造られ、最高の運転と保安技術に支えられていたはずです。

ここで、一つ忘れはいけないことは、今回の原発事故に対する菅首相と東電の初期対応に大きな誤りがあったことが、未(いま)だに厳しく検証されていないことです。

この検証が、速やかに正確詳細になされることから、日本の新しいエネルギー政策が出発するのです。

この検証がなされないまま、万一、菅首相の「脱原発」のスローガンに基づく菅首相の[現時点の考え]によって、エネルギー政策が進めばどうなるでしょう。確実に、来年の春には、日本に原子力エネルギーは、存在しなくなります。 

その時点で、日本は、総電力の3分の1から少なくとも4分の1を失います。日本には、イタリアやドイツのように、替わりの電力を得る手段はありません。


原発事故対応の失敗と、誤魔化し

東京電力福島第1原発の事故に当たっての初動に、首相として、判断と対応に失敗した菅首相は、年頭に「原発の輸出を声高らかに掲げた政策」から、一転して、何の準備もせず「脱原発」を唱え出しました。

まさに、疑似市民運動の野望家らしい菅首相の振る舞いです。

ここで、さらに、重ねて、「場当たり政治家」らしい失敗を、菅首相はしました。「浜岡原発停止の要請」です。

この場合、「要請」であって、「命じて」はいません。これは、法律に準拠するとか、しないとかの問題より、優れて「首相の発する言葉と政治的重さと責任」の問題です。

今回の問題点は、その言葉に、政治が最終責任を取らない、菅政治の本質が見える、ということなのです。

菅首相の発想が場当たりであることは、ここでも、証明されています。

なんの準備もない、突然の「浜岡原発停止」は、現在、定期点検で停止中の原発再開を、当然、困難に陥れました。

「脱原発」は、福島第1原発事故後、国民に受け入れ易(やす)いスローガンです。

菅首相の言う、「太陽光エネルギー」も「風力」も「バイオ」も「地熱」も、10年単位で、実現していく、また実現させなければならないエネルギー政策です。


脱原発は国政選挙の争点になり得ない

菅首相は、6月28日の民主党両院議員総会において、真顔で、次の衆議院総選挙の争点は、脱原発についてのエネルギー問題だ、と述べています。

菅首相が、いま、総選挙とその課題を述べること自体、噴飯ものですが、現時点で、各政党とも、今後の日本のエネルギー政策は、原発から自然エネルギーに転換する、という方向性では、大きな対立はない、と思います。問題は、それを推進して、どれだけの期間で、どれだけの電力を確保できるのか、という肝心のことが、菅首相によって示されていないことです。

さらに、自然エネルギー活用の拡大と効率化によって、需給をバランスさせる地産地消型と、大規模発電が必要な基幹エネルギーとの組み合わせをどうするか、を環境問題との関係で、どう考えるかなのです。これは、選挙というより、国会の場で論議されるエネルギー政策の具体的内容の問題です。

今後、10年単位のかなりの期間、日本は、より強い安全管理の下で、原子力発電を必要とします。

エネルギー政策については、国会論争において激しい対立があるとすれば、原発の電力事業主体をどう考えるか、という論点と、発電と送電の分離問題だろう、と思われます。

菅首相が夢想し、猿真似(さるまね)を考えているかもしれない、小泉純一郎首相の「郵政解散」のごとき明快な対立軸など、もともと軸のない菅首相の下では存在しないのです。


(2)国難に直面して、いま、民主党議員は何をなすべきか


支離滅裂な菅首相の原発政策

日本では、現在ある「54基」の原子力発電の内、平成23年6月末時点で、「17基」しか稼働していません。定期点検中の原発は、再開困難であり、いま稼働している「17基」が、定期点検に入ったら、前記のように、日本は、全電力の約26%の電力を一気に失うことになります。

この一文を書き始めた6月30日、定期点検を終了した九州電力の玄海原発の再開について、佐賀県知事と地元の町長が承認した、とのニュースに接しました。

九州電力の電力需給逼迫(ひっぱく)は、浜岡原発からの60万KW(毎時)を失って以来、厳しいものがありました。

ところが、原発再開という難題を海江田経済産業大臣が、地元の説得に成功したかに見えたその時、菅首相は、またもや、突然、「ストレステスト」の必要性を言い出し、海江田大臣の努力は水泡に帰しました。

なぜ、菅首相は、海江田大臣が玄海原発の地元に説得に行く前に、その方針を出さなかったのか、理解不可能です。

このように、自然エネルギー推進の道筋と段取りを説明せず、菅首相は、「脱原発」という単純な問題提起で、誤魔化(ごまか)そうとしても、全くの「まやかし」であることは、すぐに証明されることになりました。

菅首相は、「ストレステスト」を言い出したタイミングの悪さに批判が集中するや、なんと、7月8日には、定期点検後の原発再稼働時の場合は、「簡易テスト」という方針を打ち出したのです。

この方針の中身には、新規に建設した原発、事故を起こした原発の再稼働時、建設後長期になる原発については、本格的な「ストレステスト」を行うことが書かれています。

「本格的なストレステスト」の内容とはなにか、「簡易テスト」とはなんなのか、菅首相がお分かりのはずですから、自ら、国民の皆さんに、ご説明になる責任があります。

6月29日、東京電力の供給量約4900KW(毎時)の93%まで、電力消費量が上昇しました。現時点で、東京電力の最高供給電力量は、約5500KW(毎時)前後と思われます。

日本列島は、6月末から、既に、猛暑、酷暑に襲われています。

この夏のみならず、日本全国の一年を通じた電力需給を、菅首相はどう考えておられるのか、これも、国民の皆さんに説明される責任があります。

ところが、菅首相は、脱原発を金科玉条の如くスローガンにして、一方で、定期点検が終了した佐賀県玄海原発の再稼働について、県と地元の自治体を説得に行ったのは、海江田経済産業大臣でした。原発エネルギーについて責任を持つ海江田大臣に、十分な相談もなく、停止させた後の対策と他の原発への対応も全くしないで、菅首相が、浜岡電発の停止要請をしたことは、周知の通りです。

菅首相が「脱原発」担当で、海江田経済産業大臣が、至難な「休止中の原発の再稼働要請」担当とは、一体如何(いか)なる政府か、と思わない国民はおられないでしょう。


電力使用制限令の発動

7月1日から、菅内閣は、東京電力と東北電力管内に、電気事業法に基づく電力使用制限令を発動しました。 

私は、ここに至るまで、この事態を招いた菅首相がどれだけ制限令回避の努力をされたのか疑問に思っています。

3月の下旬頃から、私は、天然ガスを燃料とする小型のガスタービン発電機などを数多く設置することや、水力発電に余裕はないのか、などを記者会見を通じて公に提案してきました。

菅首相は、ご自分の場当たりな浜岡原発停止要請が、今回の制限令に直結していることを自覚されているのだろうか、と私は思います。

そのことが、大口需要企業を苦しめ、日本経済回復の勢いを削(そ)ぐ事態になっているのです。

こうした中で、企業などの自家発電機の燃料について、当分の間、課税しないなどきめ細かい施策が必要だと考えます。

とくに、今回の電力使用制限令を、東日本の被災地において、ようやく立ち上がろうとしている町工場にまで適用するというのは、政治ではありません。電力使用量にかかわらず、直ちに適用除外すべきです。

一方、今後の電力料金値上げは必至で、全産業と国民生活をも直撃します。

菅首相は、現時点で、電力の供給力について一体どのように考え、具体的な対策を持っておられるのか示す責任があります。 

今回の電力使用制限令発動は、37年前の第1次オイルショックの時、全国の電力会社管内を対象に発令して以来のことです。

この罰金が科される強制措置は37年前の場合、第4次中東戦争勃発後、石油の供給が逼迫(ひっぱく)し、石油価格が高騰した結果、不可避の措置でした。

当時、田中角栄首相が、電源三法の制定を始め石油備蓄の計画から、トイレットペーパーに殺到した人々への対応に至るまで、獅子奮迅の努力を先頭に立ってされたことを、私は、自分の目で見ています。

その時、昭和生まれの自民党若手議員で組織した「昭和会」が、石油危機に対する提言をまとめた文書を、田中首相に手渡したことも記憶新たなものがあります。

一方、今回のエネルギー危機は、明らかに菅首相が福島第1原発事故直後に初動ミスを冒(おか)したことが発端となりました。

その上、前記のように、菅首相は、30年以内にマグニチュード8以上の地震が起こる確率が「87%」とした政府の地震研究機関の予知を根拠に、不用意な浜岡原発に対する運転停止要請を行ったことが、エネルギー危機を決定的にしたのです。菅首相が、「全原発の廃炉、脱原発の運動」を鼓舞したのです。

原発の定期点検を終了しても再稼働を延期している原発が7基、今後数カ月で定期点検に入る原発は6基という実態を、菅首相が知らない、とは信じ難いのです。

こうして、菅首相は、日本全国の電力供給を重大な危機に陥れているのです。

ちなみに、福島原発の立地地域について前記の地震研究機関は、「大地震の確率」を「ゼロ%」と、予知していました。

菅首相が、後一年も経ないで訪れる重大な電力危機を放置し、有効な対案を出さず、手をこまねいているのなら、全ての国民の皆さんの前で、テレビで呼びかけてください。

「皆さんの生活は、今後長期にわたり昭和45年代 (1960年)の水準に戻ります」。「その生活は、電 気冷蔵庫も空調機器も電気洗濯機も浴室の給湯器も電子レンジもなく、暖房は火鉢と石油ストーブと湯たんぽです」。「いつになるか不明ですが、自然エネルギー によって全ての国民生活が現時点に戻るまで我慢してください」。と。 しかし、それだけでは済まないのです。

日本経済は、菅首相の対案なき「脱原発」の掛け声によって、国民生活とともに、大打撃を受けます。

このことは、東日本大震災の復興、新たな建設にも大きな打撃を与えます。

根本の原因は、国内の電力不足ですが、輸入エネルギーの価格高騰によって、日本の国際競争力は極端に低下します。有力生産拠点の外国転出によって、日本の産業空洞化が一層急激に進みます。当然、失業者は、さらに増大し、消費は落ち込み、年金、医療、介護などの日本の社会基盤は崩れ「日本経済沈没」の危機は現実のものとなります。


菅首相の責任回避の政治手法

福島第1原発事故以来、菅政権は、一貫して「要請」の二文字を繰り返しました。これは、一見穏便に聞こえますが、実は、首相が要請することは、地方自治体にとっては、事実上「やるべし」と言われたことになります。そうして、「要請」という用語は、その結果について首相は責任を取らない、という意思表示でもあります。

特に、原発から20キロから30キロの住民に対する菅首相の姿勢は、「福島県民の命の安全をも自分で決めろ!」という「鬼の政治」に終始したのです。

その上、菅首相は、避難指示の誤りによって、乳幼児、児童生徒を始め県民の多くを、避けることのできた放射線量の下にさらす曝す結果を招きました。

この非情な政治は、福島第1原発から遠く離れた地域の農作物や畜産、魚類にまでおよび、「安全だけれど念のため」というただし書き付きで、政治責任を巧妙に逃れる、という言語道断な指示、要請を繰り返してきたのです。この政府の姿勢が、「風評被害」という関係者にとっては、持って行き所のない状況をも助長したことは否めません。

これこそ、私が、参議院議長という職を賭す覚悟で、菅首相を厳しく糾弾している大きな理由の一つです。


(3完)国難に直面して、いま、民主党議員は何をなすべきか


議院内閣制の危機

東日本大震災対応の遅れと、福島第1原発事故に対する初動の失敗と、目に余る情報隠しをめぐって、世論の多くも、政権与党幹部も、早期退陣を菅首相に求める、という異常事態を惹起(じゃっき)しています。

一方、民主党内の動きを横目に、菅首相は、自分の使命だ、などと頓珍漢な言を弄して首相の座にとどまり続けているのです。

延長した今国会の会期末は、8月31日ですが、このままでは、そこも菅首相が辞職することはないでしょう。

この事態を、このまま放置すれば、政治体制に対する国民の不信は高まり、議会制民主主義と議院内閣制そのものの制度としての欠陥が指摘され、政治が機能不全に成りかねないのです。

菅首相は、いま、あたかも独裁者の如く立ち回っています。

私には、民主党という政権与党は、菅内閣では不要な存在の如く野党には映っているように思えます。

自民党の長期政権下において、歴代の幹事長、総務会長、政調会長、参議院議員会長、国会対策委員長「5役」の意見、中でも幹事長との意見が一致しない内閣は、一部の例外を除けば、立ち行かなくなっていました。

菅首相にとって、いまや、与党は、例え騙(だま)してでも、議員の数さえそろえば、それで十分だ、という位にしか考えていないのでは、と思えるのです。

菅首相は、自分が任命した大臣の存在も無視し、与党の考えも軽視し、政党政治など頭にない、という風情です。

議院内閣制の危機と思うゆえん所以(ゆえん)です。


菅首相を確実に辞任させる最後の手段

では、どうすべきか。

政治判断が狂気と思われかねない「首相」を誕生させてしまった、政党政治の現時点に於(お)ける民主党の責任の取り方は、どうあるべきだろうかを考えてみました。

敗戦後に起こった最大の国難に直面して、政治の信頼失墜と無責任、無力ぶりを前に、政党の浮沈など自業自得で些(さ)細(さい)な事柄です。

民主党議員は、東日本の被災者、未(いま)だ避難生活を強いられておられる皆さん、被災された中小零細企業の皆さんと、改めて心を一つにしましょう。そうして、日本の将来と、今に生きる国民のため、特に子どもたちのため、たとえ党が壊れてもなすべきことがあることに心眼を開いてください。

日本の国難にあたって、民主党の国会議員が、唯々、延命に汲々とする菅首相を辞任させることこそ、国民に対する責任です。

そのための手段はあるのです。

私は、今日まで、民主党の党籍を持ってはいるものの、院内の会派から離脱している参議院議長として、日本の現在と明日のためと信じ、発言し、動き、書いてもきました。

しかし、私の不徳の故か、参議院議長としては異例な言動ということもあり、なかなかその真意を理解していただけない空気もあります。けれども、日本の現状には、悠長な時間はありません。

私は、これまで、民主党内のことについて言及することは控えてきました。

しかし、ここで、民主党代表である菅直人氏が首相であることが、国の行政を混乱させ停滞させ、日本を危機に陥れている、という認識を民主党国会議員がお持ちなら、敢(あ)えて提案させていただきます。日本のために。

民主党の国会議員の皆さんに2つの提案があります。

まず、第1に、民主党両院議員総会を開催すべきです。

民主党規約には、代表を解任する規定はありません。それを前提に「菅民主党代表」の解任の段取りを進めてください。

もし、それが実現しなければ、国会に舞台を移すしかありません。

これが、第二の提案です。

それは、今国会に、即刻、民主党から、衆議院で、「菅内閣不信任決議案」を、参議院で、「菅内閣総理大臣問責決議案」を同日に提出することです。

同じ会期の国会で、不信任決議案は、1度しか提出できない、というのは、俗論です。

不信任の理由と不信任決議案の提出者が、異なれば、今国会にもう一度、菅内閣不信任決議案は提出できます。

民主党国会議員の皆さん、野党各党の皆さん、この手段以外に、この日本の国難を克服し、明日の日本を建設する道はないのです。

東日本大震災後の現状、福島第1原発事故の恐るべき実態、そうして、日本の経済社会の現在と明日を考えれば、一刻の猶予もありません。

このままでは、私たちは、被災地の皆さん、避難所生活で健康を損なわれた年(ねん)輩(ぱい)の皆さんに申し訳ない気持ちで一杯です。特に、乳幼児や学童、青少年の現在と未来に、顔向けができないのです。

国会議員、特に民主党所属の議員各位の、決断を強く望みます。

衆参国会議員の皆様には、昨年来、なぜ、これほどまでに、私が一貫して菅首相の退陣を求めたのか、どうかご理解ください。


全国民の皆様に、私の考えをご理解頂きたいのです

ここで、特に東日本で震災と原発被害に苦しんでおられる皆さんと、全ての国民の皆さんに申し上げます。

私の今日までの発言も、この一文も、決して政局ではないのです。

これまで、なぜ、西岡は、菅首相批判ばかりして、この国難に当たって、なぜ協力しないのだ!とのお叱りもいただきました。

信じられないことですが、菅首相は、官邸以外から協力しようにもできない自分だけの世界を作り上げています。

私は、参議院の運営で、菅首相に協力しなかったことは一度もありません。

菅首相を戴(いただ)いた国会運営は、衆議院の執行部の苦しみとともに、与野党逆転下における参議院において、輿石参議院議員会長、平田幹事長、羽田雄一郎国会対策委員長のご苦労は計りしれません。

一例を挙げます。大震災後に取り組む第一歩の「破損物の処理と分類」は、自治体によって大きく差があり、政府がその実態を正確に把握し対応すべき事柄なのです。

原発事故の初動の失敗も、被災者に対するきめ細かな対策の遅れも、今後の東日本の復興と新たな建設の方向と手段も、全て、「内閣総理大臣」次第なのです。首相の力は、現在の粘り腰でおわかりのように極めて強力です。

首相が決断せず、首相が自分が任命しで、任せないことが、政策の執行の遅れの最大の原因になっているのです。

その実態は、所管大臣も与党幹部も議員も、何も知らされず、菅首相と一部の官邸メンバーだけで、何でも決めている体制なのです。これでは、野党各党が協力を求められても戸惑うばかりでしょう。

私の見るところ、菅首相は、自分から首相の座を降りることなど全く思っておられないのです。民主党の執行部の皆さんは、ある意味で、お人が良すぎるのです。従って、私は、首相交代に必要な時間は、菅首相が居座ることによる壮大な時間の浪費に比べれば微々たるもの、と考えているのです。

ぜひ、ご理解頂きたいのです。(了)

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