トップ情報日本国民は日本という国をどんな国にしたいのか?>世界の著名人言語録(第二次世界大戦と日本)

世界の著名人言語録(第二次世界大戦と日本)

■アメリカ合衆国
ダグラス・マッカーサー元帥
GHQ最高司令官

「日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。それ故に日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった」。

■アメリカ合衆国
エリオット・ソープ准将
GHQ対敵情報部長

「日本人に損害を受けて、怒りに燃える偏見に満ちた連合国民の法廷で裁くのはむしろ偽善である。戦争を国策の手段とした罪等は、戦後に作り出されたものであり、リンチ裁判用の事後法としか思えなかった」

■アメリカ合衆国
ジェシー・ジョーンズ
ルーズベルトの商務長官

ルーズヴェルトは、『私は戦争を憎む』と度々述べたのにもかかわらず、彼は、参戦に非常に熱心だった。なぜならば、参戦は3期目の大統領の地位を約束するからであった。

■アメリカ合衆国
米国戦略爆撃調査団
※トルーマン米国大統領に選出された報告書より

「日本の指導部が、国家の存亡に関わる利益の為にと固く信じて、戦争を始めた事は明らかである。これに対して、アメリカ合衆国は、単に自分達の経済的優位と主義主張を押し付けようとしたのであって、国家の存亡に関わる安全保障の為に戦ったのではないと、アメリカ合衆国人は信じていた」。

■アメリカ合衆国
ヘレン・ミアーズ
東洋歴史学者

私達が「国家存亡にかかわる利益を守る為に戦う」のは、私達の権利であると主張する以上、同じように主張してきた日本を何で罰する事が出来るのか。「世界征服」を企てたという理由で、日本を公式に罰する事が出来るというのも理解出来ない。現にアメリカの公式調査報告書は、そのような意図はなかったという日本の反論を記録にとどめているのだ。

※ポツダム宣言の受諾に関して

その過酷な条件(ポツダム宣言)にもかかわらず、「六首脳」(首相、外相、陸相、海相と陸軍参謀総長、海軍軍司令部総長)のうち3人は即時受諾に賛成していたのだ。しかし、私達は和平支持派に反対勢力を説得する時間的余裕を与えなかった。

私達はたった11日間待っただけで、いきなり一発の原子爆弾を、そして2日後には更にもう一発を、戦艦の上でもない、軍隊の上でもない、軍事施設の上でもない、頑迷な軍指導部の上でもない、二つの都市の約20万の市民の上に投下した。しかも、犠牲者の半数以上が女子供だった。

■イギリス
H・G・ウェルズ
SF作家

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた」。

■イギリス
アーノルド・J・トインビ
歴史学者

「第二次世界大戦において、日本人は日本の為にというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に、偉大な歴史を残したと言わねばならない。

■イギリス
エリック・ホプスバウ博士
英国ロンドン大学教授

「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動に依るものでは無く、日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされたものである」。

■オランダ
サンティン
アムステルダム市長

あなた方の日本国は「アジア各地で侵略戦争を起して申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑かけた」と、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。

あなた方こそ、自らの血を流してアジア民族を解放し、救い出すと言う人類最高の良い事をしたのです。何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先の事のみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪い事をしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。

本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れましたが、東亜の開放は実現しました。即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わったのです。

その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑む事を止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります

■インド
ラーダー・クリシュナン
第二代大統領

インドが独立出来たのは日本のお陰であり、それはひとりインドだけでなく、ベトナムであれ、カンボジアであれ、インドネシアであれ、旧植民地であったアジア諸国は、日本人が払った大きな犠牲によって、独立出来たのである。

■インド
ラダ・ビノード・パール判事
法学者・裁判官

要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったという事を歴史にとどめる事によって、自分等のアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の十七年間(東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったに違いない。

その私の歴史(パール判事の調査による判決文)を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるという事が分るはずだ。

それなのに、あなた方は自分らの子弟に、
「日本は犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。

日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然と見過ごすわけにはゆかない。
誤られた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。
誤られた歴史を書き変えなければならない。

■インド
グラバイ・デサイ
インド弁護士会会長・法学博士

インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である」。

■インドネシア
アリフィン・ベイ
ナショナル大学日本研究センター所長

日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは他ならぬ日本の精神的技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。

日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(日本は)目標達成の為にどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の教練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである」。

■マレーシア
ラジャー・ダト・ノンチック
元上院議員

「先日、この国に来られた日本のある学校の教師は『日本軍はマレー人を虐殺したに違いない、その事実を調べに来たのだ』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を一人も殺していませんと答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系抗日ゲリラだけでした。そして日本の将兵も血を流しました。

どうしてこのように、今の日本人は、自分達の父や兄達が遺した正しい遺産をみようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう。これは本当に残念な事です」かつて、日本人は清らかで美しかった。かつて、日本人は親切でこころ豊かだった。アジアのどの国の誰にでも自分のことのように一生懸命尽くしてくれた。

戦後の日本人は自分達日本人の事を悪者だと思い込まされてきた。学校でもジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから。だからアジアの国に行ったらひたすらペコペコ謝って、私達はそんなことは致しませんと言えば良いと思っている。本当にどうなっちまったんだろう。日本人はそんなはずじゃなかったのに、本当の日本人を知っている私達は今はいつも歯がゆくて悔しい思いがする。

■マレーシア
ガザリー・シャフィー
元外務大臣

私達アジアの者が不思議に思うことは、日本の首相が靖国神社に参拝しない事です。日本では毎年のように首相の靖国神社参拝が問題になり、その度に参拝を行わず「私達は敗戦国民なんだ」と言って、負け犬根性にしがみついているように見えるのです。

しかし、亡くなった方はもう戦争をしたりはしない。ある意味では一番安全な人達だし、日本は先輩方に何故敬意を払おうとしないのか。靖国神社に参拝しない事で自分達を敗戦国真理に追い込んでいるように見えて残念でなりません。

以前広島を訪れた時、小学生の先生が原爆慰霊碑の前で子供達に「日本は昔悪い事をした。これはその記念碑だ」と教えていたのを見ました。それで広島市長に「原爆慰霊碑と原爆資料館は日本人が見るべきではありません。ワシントンに持って行き、アメリカ人に見せてアメリカ人に反省させるべきではないでしょうか。原爆資料館がここにあるのは不適切だと思います」と言ったところ、広島市長達は真っ青になってしまったが、やがて彼らも私の意見に賛同してくれました。

我々はペコペコする日本人は嫌いだ。なぜサムライらしく毅然としないのか。日本はどんな悪い事をしたと言うのか。特に私が惜しいと思うのは、日本ぐらいアジアの為に尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定する事だ。

■トルコ共和国
N・ヤルマン
大学教授

アジアに於ける支配の歴史というマイナスの面があるため、日本人は沈黙しがちです。しかしもう話す時が来た。南アジア諸国は、日本のお陰で現在自由があることを認識しなければならない。そうでなかったら今でのフランスやオランダやイギリスに支配されている。

■フィリピン
ダニエル・H・ディゾン
フィリピン人画家

「今から35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙が止まらなかった。・・・こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いた事がなかったからです。「当時白人は有色人種を見下していました。これに対して日本人は、世界のあらゆる人種が平等であるべきだとして戦争に突入して行ったのです。

神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の抵抗だったと言えましょう」。「神風特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか敬って頂きたい。これは私からの日本の若者達へのメッセージです」

※海外の教科書

■マレーシアの教科書

数百年間続いた白人支配の世界と対峙する日本の様子や、有色人種開放、アジア開放という日本の考えが書かれています。イギリスからの開放を日本軍に願うマレーシア人が描かれています。

■インドネシアの教科書

日本の占領は後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止され、インドネシア語が成長し使用が広まった。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとは言え、厳しい規律を教え込み、勇敢に戦う事や耐え忍ぶ事を訓練した。第三に、職場からオランダ人が全ていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、我々に高い能力や大きい責任を要求する重要な仕事を任せた。

■ドイツの教科書

当時の時間の経過を詳しく調べると、アメリカ側の公式の説明には疑問がある。投下以前に米ソとも日本の求めた降伏の為の接触を無視したのである。従ってこの投下は全く無意味な手段であった。その目的はただ新兵器の威力の実験と、他国(特にソ連)への示威行為であった。

■アメリカの教科書

10月、好戦的な東条英機将軍が新首相になった。米国は日本の暗号通信を解読しており、日本が戦争準備に入っている事を知っていた。

ルーズベルトは11月下旬、ハノイ、グアム、フィリピンの米軍司令官に戦争警告を発していた。その警告にはこうあった。戦争が避けられない状況になった場合、日本が先ず好戦的行為に出る事が望ましい。

■パラオの教科書

アメリカから独立後、アメリカによる反日的な教科書を改訂し、日本統治時代を「日の丸の旗の元に」とし、全462ページ中、実に36ページを日本統治時代にあてている。

パラオのクニオ・ナカムラ大統領は、日本の公正な中学校の歴史、公民教科書の発行を目指す「新しい歴史をつくる会」の賛同者に参画、声明文に署名しています。また、パラオは日本の歴史教科書教育問題に非常に協力的で、パラオの国会で日本の教科書問題が議論されるほどです。

また、パラオのペリュー島慰霊碑にはこう刻まれている。

「諸国から訪れる旅人達よ、この島を守る為に日本軍人が如何に勇敢な愛国心を持って戦い玉砕したかを伝えられよ!」

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