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文化破壊にも繋がる言葉狩り

男女平等という考え方や差別言葉撤廃の名の下に行われる言葉狩りには時としてもの凄い違和感を憶える事がある。例えば看護婦が看護士となってしまったのは寂しい限りである。

看護婦という言葉にはある種尊敬の意味を持っていると思っていたからだが、この間一週間ほど入院していて思った事だけど、看護婦さんに対して私はどうしても看護士さんとは呼べなかった。だからその間は昔と替わらず看護婦さんと呼んでいた。

日本語には性別が判る言葉や性の特徴を現した言葉は沢山ある。例えば貴方であり貴女である。また、女々しいとか雄々しい等もそうである。信じ難い事ではあるが最近は女らしい、男らしいと言うのも駄目らしい。本当に困ったものである。

また、先日の事ある方に助言めいた事を書いた時の事だが、最後に老婆心と思って聞い下さいと書いた瞬間に、これも差別言葉になるのかなぁ?と思ってしまった。こうした言い方が生まれた背景には、「男たるものは細々した事は言わないものだ!」との意味もあって出来た言葉だろうと思う。

この時に爺という文字は使わない。言わなくてもいいかもしれないけれど、亀の甲より年の功と思って聞き止めてくれたら有り難いという意味であろうと思う。

また、肢体不自由者であり、健常者という言葉もどうしてもしっくり来ない。むしろどこを患っている人なのか判らず、意識過剰になり無意識下に考えなくても良いものを考えてしまうもどかしさが残ってしまう。

過ぎたる言葉狩りは、文化破壊にも繋がると思う。

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