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本当に恐ろしいものをこさえてくれたものだ



----- Original Message -----
From: "T.T"
Sent: Monday, November 30, 2009 2:23 PM
To: <info@rosenkranz-jp.com>
Subject: 試聴記

 

 

新ケーブル試聴記(2009.11.30)

恐ろしい音・・・

待望の新しいスピーカーケーブルを受け取った。ただならぬ気配を感じる。
何か生き物のような気配があるのである。

今度のものは外観も今までとは違い黒の被覆を持つ部分が大半を占め、その両端にRGBの被覆の部分が繋がる構成となっている。その黒い部分がまるで生き物の臓物のように思えるのである。

「人間は万物の頂点のようなつもりでおるが、消化器でえさを消化して排泄している 点ではなまこのような下等生物となんも変わるところはありゃせんのよ。それに手足と頭がひっついとるだけ。脳みそがすべてみたいに思い込んでいるけれども本能的なことについては内臓や脊髄で多くのことを感じたり考えたりしとると、わしゃ思とるんよ。」

と、貝崎さんに言われているような気がするのである。

マエストロに繋いで音を出してみる。音楽が始まるや否や瞬時にして音楽の相貌が立ち上がり、リズムが、旋律が、上に下に、右に左に、前へ後ろに躍動する。こんな音の出方が今まであっただろうか、瞬く間にぐいぐいと音楽に引き込まれていく。

低音がどうの高音がどうのという今までの作法については端から考える余地を与えて くれない。ただただ音楽に没頭するのみである。

小さい音は小さく、大きい音は大きく、美しい音は美しく、汚い音は汚く、鋭い音は鋭く、鈍い音は鈍く・・・当たり前のことだが実は一番難しい。それが目の前でごく自然のことのようにここに至るまでの艱難辛苦の跡形も感じさせずに行われていることには驚くしかない。そして聴き込むほどに感嘆の度合いを増すことになるのだが、やがて恐ろしいくらいの音を聞かせてくれる。作者や演奏家の内面までも透けて見えてくるのである。

例えばあなたが美酒を片手に微笑む美女のジャケットを見やりながら滑らかで美しい声に身を委ね一日の労苦の慰藉を求めること、無論それも可能である。しかし、一旦真摯な姿勢で音楽に相対するとき、音楽はあなたに何かを語り始めてくるだろう。

単に華やかで美しいだけの音楽と思っていたものが実は底知れぬ虚無を秘めていることに愕然とし、逆に深遠で雄大な音楽と思い込んでいたもののその重々しい鎧兜の下に極めて個人的な内面の吐露を発見するかもしれない。そしてそのとき自分自身に何かを突きつけられ、思わず肺腑を穿たれておろおろと狼狽してしまうかもしれないし、呆然とその場に立ちつくしてしまうかもしれない。

このケーブルは作家や演者の内面のみならず、聴き手の内面をも照らし出しあぶりだしにする鏡のような存在なのである。本当に恐ろしいものをこさえてくれたものだ。

T.T



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