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その15 「ハーモニーの正体」と「和の根幹」


 組み上がったミラクルサウンド・スクリーンをオーディオラックの背後に置いてみました。

 すると、今まで壁や窓ガラスにもたし掛けていた時の頼りなさそうな感じが全く無くなりました。

 ”キリッ!”と自分自身の力で立てるようになった事を見てくれと言わんばかりに、

 重力線に対して素直に立っている姿は、美しく誇らしげなものです。

 思わず、”良くやった!”と言いたくなるようないでたちです。


 壁等に立て掛けていますと、せっかくの美しいミラクルサウンドの響きが殺がれてしまいます。

 特に、音が解き放たれた後の、最後に消え入るようなピアニシモが途中で止まってしまうのです。

 正にそれこそが、楽器の場合は何万円の物と何億円の物との差になってしまうのです。


 この写真からイメージをして頂きたいのですが、空間にスピーカーから解き放たれた「音楽の波動」がミラクルサウンド・スクリーンに当たって反射するパターンは図のように複雑に撥ね返ります。



 そして、何ミクロンかのわずかづつ時間のずれた残響が、

 いつまでも、いつまでも、萎える事無く、生き生きと、

 耳だけでなく人体に心地よい波動となって語りかけてくるのです。

 7本からなるこのミラクルサウンド・スクリーンに手で触ってみると、

 1本、1本が微妙に膨らみとくびれに違いがある事に気づきます。

 しかし、音楽を奏でる波動のピッチにおいては寸分の狂いもありません。

 そうなんです、それこそが『ミラクルサウンド・スクリーン』の”ミラクル”たる所以なのです。

 これが「ハーモニーの正体」であり、「和の根幹」であります。



 このポールは一人のロクロ職人が精魂込めて作っているのですが、

 もしも、このポールを複数の人間が作ったら、もうその時点で音は一巻の終わりです。

 ましてや、NCで作ったりしたら一見同じ寸法でいいようですが、何をか言わんやです。

 もっとも、2メートル近い長さの物を加工出来るNCもありません。

 その場合は、まったくもって音楽の気は出てこないでしょう。

 今の時代に欠けているものはこうした考え方であります。

 和とはそれぞれ違う個の尊厳が力を合わせて生み出すものだからです。

 気持ちの入った音楽とか精神世界とはそうしたものだと思います。

 物作りにもしっかりとしたコンダクターが必要なのです。


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