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テストレポート3 SP-Reference1

オーディオと人生

途中ブランクはあったものの、四十年近くにわたって追い求めてきたオーディオの世界は、私にとってきわめて大切なものであり、また人生を象徴するものでもあります。

せっかく貝崎さんからテストレポートの依頼を受けたのですから、次々と製品を取り替えて試聴をすればいいのですが、ひとつの形となって表れたその時々の音は、今の自分の生き方を深く表しているような思いがあり、その音に対して心から得心し、自分の生き様とともにその音をグレードアップさせたいという思いが湧き上がってこなければ、その形を崩して先に進むことがどうしてもできません。

今私の目の前で鳴っているステレオの音は、音としても音楽としても本当に素晴しいものです。その音は私の人生を象徴する存在以上のものであり、ハッキリ言って分不相応であるとも感じます。

これから更にこの音をよくしていくというのは荷が重い作業ではありますが、その作業と同時に自分の人生をもグレードアップしていくことができる最大のチャンスであると捉えています。

過去何度か、素人ながら方々の家を周り、ステレオの音を調整させてもらったことがあります。その時に感じたのは、『ステレオの音はその持ち主の生き様を反映する』ということです。

怠け者の人のステレオからは重苦しい音が流れ、心清らかな人のステレオは透明で美しい音を奏でています。それは製品の価格とは無関係であり、まるでステレオという機械に持ち主の思いが乗り移ったかのようでした。

音、その音を再生するステレオには、それだけ深い精神的価値があるのだと考えています。オーディオレポートは、私にとって人生に対する大きな挑戦です。


電源ケーブル、テーブルタップ

人でもものでも、それを "活かす" ところに感動が生まれます。たとえものとして劣等生であっても、そこにそれを更に活かす余地があるのなら、それを実行していくのは持ち主の責任であり義務だと考えます。

安物のCDプレーヤーは電源ケーブルが直付けです。アンプの電源ケーブルは取り替えのきくもので、デスクトップパソコンの本体に付属しているものと形も太さも長さもほぼ同等品です。これら二本とテーブルタップを、すべて理のある長さ0.9kaiser(94.5cm)に統一することにしました。

CDプレーヤーは中を開け、ケーブルを短くした上で基盤に付け直しました。アンプは手持ちのケーブルを0.9kaiserでカットし、電気店で買ってきた103円の電源プラグを取り付けました。テーブルタップも同様で、0.9kaiserの長さにして市販の電源プラグを取り付けます。

まずはCDプレーヤーとアンプの電源ケーブルを換えて試聴します。わずかな変化ですが、音楽としての流れによどみが減ったように感じます。次にテーブルタップも換えてみると、この音の傾向は更に顕著になりました。テーブルタップを換えた時の音の変化の方が大きいように感じたのですが、取りあえずは極性をまったく無視して付け換えたので、その差は誤差範囲だと思われます。


PB-BABY

手元にすでに廃版となったインシュレーターPB-BABYとPB-JRがありますので、それをアンプに使ってみることにします。アンプの底板はアンプの筐体の四辺と接するようになっていて、インシュレーターはその接している部分よりほんの少し内側の底板を支えるように置くことになりますが、そうするとどうしてもたわみが出て、アンプを上から押さえると、ほんのわずか上下に動いてしまいます。

そのたわみが音に影響を与えるのでしょう、自分なりに底板の方向性を整えて取り付けた上でインシュレーターを置いても、どうしても望むような音にはなりません。

以前使っていた真空管アンプで底板を取り外すと音がよくなったという経験があるので、底板を取り外し、筐体のエッジの下にインシュレーターを置くことにしました。これはかなり効果的です。音の重心が安定し、響きも美しくなり、付帯音が減って聞きやすくなりました。

本当は三点支持が理想なのですが、筐体の形と前面パネルとの関係で、どうしても四点で受けることになってしまいます。上手く調整しないと、四個あるインシュレーターの内の一つには、ほとんど加重がかかっていない状態になるのですが、それでも音にはしっかりといい影響が表れています。やはりインシュレーターの力は絶大です。

PB-JRはあいにく三個しか持っていないので、今はPB-BABYを使っています。方向性を合わせやすいように、後方Aマークの真横90度のところに赤いマーカーで印を付けています。写真は比較のためにPB-JRを横に置いています。


CDプレーヤー ・・・ 結束バンドの色による変化

CDプレーヤーにも手を入れられないかとあれこれ思案しました。インシュレーターを使ってみようとしたのですが、薄っぺらなプレスされた底板は様々な凹凸があり、インシュレーターをうまく置くことができません。仕方がないので、プレーヤーの脚となる円形のゴムを取り除き、同型で更に薄くて硬いゴムを東急ハンズで買い求め、それに付け替えました。ほんの少し音が引き締まったかな・・・という感じです。

プレーヤー内部のトランスポート部分は、前方は内部から二箇所、後方は底板から二箇所、計四箇所でネジ止めされていますが、驚くことに、底板から止めるネジの片方がまったく締まっておらずユルユルの状態でした。これをきちんと締めるだけでも音は確実に実在感を増しました。ホント、気がついてよかったです。

内部の共振ポイントと思われるところに、知り合いが開発した「ぴたりっこ」という電磁波防止シールを貼りました。これは一箇所ずつ音を確認しながら貼っていったのですが、音は少しずつ余分なものがそぎ落とされる方向へと変化します。

最も大きく音が変わったのは、三本の帯状の信号ケーブルを束ねる結束バンドを替えた時です。
以前貝崎さんと行った実験を思い出し、手元にあるいくつかのバンドで試しました。私は整理整頓が趣味ですので、食料品の袋やケーブル類に付いている針金の結束バンドは、袋に入れて保管しているのです。

最初に結束されていた白いインシュロックタイを外し、他の色のバンドに取り替えます。手持ちのインシュロックタイは、白以外は赤、青、黄色等けばけばしいものばかりですので、針金をビニール系の素材でくるんだバンドで実験しました。

1.バンドのない状態
音は伸びやかになります。
けれども締まりのないふやけた感じです。

2.黒
締まりがあって凛々しい感じで良好です。
10年前に貝崎さんと行った実験でも、
黒のインシュロックタイが最も好結果でした。

3.黒のビニールテープ
黒がいい音だったので、黒いビニールテープで二箇所をきつく巻きました。
けれど音は硬直し、聴いてる方の体まで強ばってきます。
この音の変化はものすごいものですが、
巻き付けられたケーブルの状態通りの音です。

4.金
華やかで魅力的な音で、まさに金ピカです。
けれど少しざわついて落ち着きがありません。

5.黒と金
二箇所をバンドで締めました。
二つの色の特徴が重なり合い、音量が上がったように感じます。
締まりがあって華やかで、まずまず良好ではありますが、
やはりほんの少しのざわつきが気になります。

6.金と銀
これはいいコンビネーションだと思ったのですが、
なぜか音の世界が縮小し、音数が減ったように感じます。
巻き方や巻く位置も関係しているのかもしれません。

7.黄土色
段ボールのような生成り(きなり)という色です。
私の好みの色なのですが、音はカサついてまったくよくありません。

8.金(強く結束)
金色の音の魅力を保ちつつ、ざわついた感じをなくすため、
バンドを強く巻きました。
これはかえって逆効果で、音が縮こまってしまいました。

9.金の長さを00.5カイザーに
金色のバンドで音がざわつくのは、
10cm近くあるバンドの長さが原因かもしれません。
そこで金色の長さを00.5カイザー(5.25cm)にカットしました。
黒は偶然最初から00.5カイザーの長さになっていました。
これは文句なしに最高の音です。締まりがあって華やかで、
音が大きく広がり、ざわついた感じもまったくありません。
思わず頬がゆるみます。カイザースケール恐るべしです。

この結束バンドによる音の変化は、誰にでも分かるぐらいのとても大きなものです。実験に使った結束バンドはあり合わせのもので、黒いバンドはたぶん何かの電気製品のケーブルに付いていたものでしょう。細い針金を丸く包むような形でビニールが巻かれています。

金色のバンドは、スーパーで買ったロールパンに付いていたものと思われます。帯状になった金色のバンドの中央に針金が通っていて、ちょっとシワシワになってしまってます。

同じ色や長さでも、もっと違った素材を使い、また結束する位置を変えていけば、さらなる効果が期待できるかもしれません。またアンプの中には何十本もの白インシュロックタイが使われていますので、それらも換えていけば音は大きく変化していくでしょう。それは今後の楽しみです。


印刷物で音を変える ・・・ 言霊と天使とカイザースケール

印刷した紙を使って音の変化を実験しました。
これはあまりにもピュアオーディオの世界とは離れるので、ここでは詳細を書きません。興味のある方は、このページをご覧ください。
心が安心・安定する言葉<4>


ケーブルを元に戻す ・・・ 音に於ける感動という第三の要素

一度向上した音を元の状態に戻すのは苦痛なものですが、今使っているSP-Basic1とPIN-Reference1の効果を今一度確かめるため、最初の状態であるスピーカーケーブルがACROTEC(アクロテック)6N-S1040、ピンケーブルが何かの付属品の一般ケーブルの状態に戻してみました。

音は当然ながら大きくグレードダウンします。
音はひとつの塊となって聞こえ、音楽的躍動感も大きく後退しました。

けれどその中で最も強く感じたのは、音楽に於ける『音楽の喜びを伝えたい』という演奏者の思いが、これまでとまったく変わらず伝わってくるということです。歌う喜び、それを聴き手に伝えたいという思い、これらが音的にも音楽的にも狭まった表現力の中で、精一杯の力としてこちらに伝わってきます。

これはとても不思議な感覚です。これまで少しずつ音をグレードアップしていく過程で、音や音楽的表現力が向上するということは、まるで音楽そのものが変わって聞こえてくると実感していました。にも関わらず、音楽的表現力が減少したこの状態で『音楽的感動』をそのままに感じるとは・・・自分としてはどう解釈していいか分からず、大きな戸惑いを覚えます。

これまでステレオから発せられる音は、音とともに音楽、この二つの要素ですべてを語ることができると考えていたのですが、もしかしたら音楽の中には、音楽的表現力とともに音楽的感動を表す別の要素が存在するのではないでしょうか。

あくまでも自分独自の推測ですが、その音楽的感動を導くものが、先に感動を生む要素として書いた "活かす" ということなのだと思います。これは音楽だけけではなく、すべてのものに通じることだと考えます。

スピーカーケーブルとピンケーブルを元の状態に戻したといっても、ステレオ設置当初の状態とは異なります。その間に電源ケーブルやアンプやCDプレーヤーを、ほとんどお金をかけることなく "活かす" 努力を続けてきました。

その形としての努力と工夫が音の中の感動を導く部分となって表れたのでしょう。そして音や音楽的表現力が減少した状態だからこそ、その感動の部分がより際立ったのではないかと思われます。


活かすというソフトの時代

少し前までは、オーディオでいい音を聴きたいと考えれば、アンプやスピーカー、CDプレーヤー等主要機器を高額で豪華なものに買い換えるというのが、ほぼ唯一の手段でした。

それが最近になり、機器そのものよりも、それらをいかに使いこなすか、いわゆる "活かす" ということの大切さが理解されるようになってきています。

ローゼンクランツの主要商品であるインシュレーターやケーブルは、メインと考えられる機器類を活かすための道具であり、それらが大きな効果を生み出し、脚光を浴びるのは、ひとつの時代の大きな流れだと考えられます。

精神論的な話になりますが、活かすというのは、形としては工夫をするということですが、それはものを扱う時の気持ちにもなって表れます。だからこそ、このページ冒頭にも書いたように『ステレオの音はその持ち主の生き様を反映する』のです。

現在放送中の大河ドラマ「平清盛」の題字を書いたのはダウン症の書家金沢翔子(小蘭)さんです。母親で同じく書家である泰子さんは、翔子さんが障害を持って生まれたと知ってから、何度も一緒に死のうと考えるほど苦しんだそうです。その泰子さんの言葉が感動の本質を伝えてくれます。

「技術的な問題ではありません。テクニックでいえば、私の方がずっと上手です。これは、魂レベルの話なのです。みな、心が震えると言ってくれます。翔子はうまく書こうという思いはありません。ただ、私に喜んでほしい、みんなに喜んでほしいという思いだけで書きます。名誉を気にすることはないのです。そのように無心で書くから感動を呼ぶのかもしれません」


SP-Basic1 ・・・ 伸びやかな開放感

前回はケーブルをグレードアップするのをピンケーブル、スピーカーケーブルの順で行い、ピンケーブル(PIN-Reference1)だけをいいものにした時には、バランスの悪い違和感のある音を経験しました。今回はその順序を変え、まずはスピーカーケーブル(SP-Basic1)をグレードアップします。

これは予想通り違和感のない、伸びやかな素晴しい音です。抑圧されていたものが解放され、劣等生のまじるクラスの中で、出来のいい子が思いやりを持ってみんなを引っ張っているという感じがします。前回ピンケーブルだけをグレードアップした時の、優等生がみんなを押しのけて自らの能力を誇示しているといった感じとは対照的です。

貝崎さんは「まずは出口に近い部分からグレードアップしていくのが順序である」と説かれ、それを『ボトルネック現象』、つまり出口が先細りだと詰まってしまうと言われるのですが、その言葉の意味がよく理解できます。


PIN-Reference1 ・・・ 洗練されたバランス

スピーカーケーブルはSP-Basic1のままで、ピンケーブルをPIN-Reference1に換え、今まで聴いていた最もいい状態に戻しました。これは音、音楽的表現力、感動、すべてが高いレベルで共存しています。洗練されたこの音は、これまでの音と比べると、磨き抜かれた宝石の輝きを感じます。やはりこの音を聴いてしまうと元には戻れません。

ケーブルをグレードダウンした音は感動が際立つと書きましたが、この今の落ち着いた音は知識と経験を兼ね備えた大人の佇まいで、深い感動を讃えても、それを表面に大きく表すことはないのです。

世阿弥は語っています。
『秘すれば花なり秘せずは花なるべからず』と。


SP-Reference1 ・・・ さらにステージを上げる

スピーカーケーブルをピンケーブルと同等のSP-Reference1にグレードアップしました。これは音の根本である骨格がより逞しくなった印象を受けます。凛々しくなったという感じはないのですが、より屈強になったという感じです。

細かな工夫や使いこなしでも音は変化しますが、それは同じステージに於ける広がりや透明感の変化といったものです。けれどこういう機器やパーツそのもののグレードアップは、音の置かれている場所が一段階上へと上昇するようです。

SP-Reference1は時間の経過とともにエージング効果が現われてきました。数時間このケーブルで音を聴き続け、音は確実にしなやかで繊細な方向へと変化しました。音の陰影が濃くなり、音楽的表現力が確実にアップしています。いつも聴いているキース・ジャレットのピアノの音も、よりアコースティックピアノらしい木質感が出てきました。

陰影が濃く感じられるようになったのは、微少入力に対する再現性がよくなり、倍音もより美しく表現されるようになったからだと思われます。衝撃的なアタック音とともに、微細な音のひとつひとつの表情がより明確に聴き取れるようになりました。

もうこの段階まで来ると、低音がどうとか高音がどうとかいう次元ではありません。音ではなく音楽が主体となり、音楽の構成要素である音はあくまでもそれを伝える手段に過ぎないという感を強く持ちます。

それは音楽的リアリティーがきわめて高くなったからでしょう、音ではなく音楽の方へと自然と意識が向いていきます。

PIN-Reference1とSP-Basic1で音の足並みを揃え、音楽の楽しさを十分に堪能することができました。そしてさらにSP-Reference1によって、その奥に潜む「生の喜び」といったものまで感じられるようになっています。

やはりこの音で聴きたいのは美しい響きの教会で録音されたバッハです。峻厳な音の向こうに、神の慈しみのようなものが感じられます。


吾唯知足

吾唯足るを知る(われただ足るを知る)、
これは私がとても大切にしている言葉です。

私たちは相対(比較)の世界に生きていて、自分の周りに今自分が持っているものよりもいいものがあると知れば、それを求めていくのが人間としての本性です。それは向上、進化の源であり、決して悪いことではないのですが、その気持ちを持つと同時に、今の現状に満足し、『足るを知り』、感謝していくこともとても大切です。

私は今流れているステレオの音に100%満足しています。手を加え、懸命に以前よりもいい音で鳴ってくれている安物のCDプレーヤーをとても愛おしく感じます。そしてその気持ちを土台として持つと同時に、冒頭に書いたように、このステレオの音とともに自らを進化させていきたいと考えています。

ステレオを活かし、自らを活かし、大きな感動を呼べる人生を築けたら、こんなに素敵なことはありません。

N.S(ヨガナンダ) http://yogananda.cc

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