トップ情報清貧オーディオの極(RK-AL12/Gen2) by N.S>テストレポート4 AC-Add on、AC-RG1

テストレポート4 AC-Add on、AC-RG1

ともに歩む

前回のレポートで「オーディオと人生」と題し、ステレオの音はその持ち主の人生そのものだということを書きました。本当に心からそう感じ、また最近はより一層そのことが深く身に染みます。

2月中旬、貝崎さんに家に来ていただき、我家のステレオを診ていただきました。そこで現状の音の問題点を鋭く指摘され、それがまさに自分の生き方の課題に直結していることを知り、衝撃を受けました。またその翌日には貝崎さんとともに佐賀県伊万里市に行き、そこでまた新しい音の体験をさせていただくことができました。

音は嘘をつきません。すごい世界です。音はなぜここまで人の内面を表し、またすべての関係性をも明らかにするのでしょう。オーディオはやはり人生そのものです。私は四十年近く前からオーディオを大切なパートナーとし、それとともにスピリチュアルな活動を続けてきましたので、そういった面がより大きくクローズアップされるのかもしれません。

オーディオと人生が不可分な関係であるのなら、どちらかが先行するわけにはいきません。オーディオを通して人生の課題を見せつけられたら、次はその課題を克服し、そこで得た新たな境地で再び音と対峙するのが順序の理だと思います。また内面に大きな課題を抱えたままでは、真に素晴しい音は聞こえてこないものと考えます。前回のレポートを書いてから少し間が空いてしまったのは、そんな理由があるのです。

『ともに歩む』、素晴しいオーディオを我家に迎えることができたのは、やはり自分の人生を大きくグレードアップさせることのできる好機だと考えています。


カイザースケールの敷物 ・・・ カイザースケールの端正な音

最初にRK-AL12/Gen2を貝崎さんに設置していただいた時に、そこらにあった適当な紙や段ポールをスピーカースタンドの下に敷き、高さを調整しました。それでは最高の寸法比で設計されたスピーカーやスピーカースタンドとはあまりにも不釣り合いです。そこで画用紙を切り、カイザースケールに基づいた敷物を自作することにしました。

高さとしては紙を四つ折りにしてちょうどいい具合ですので、横幅は0.3kaiser(31.5cm)、縦は0.2kaiser(21cm)とし、縦を四つ折りにしてスピーカースタンドの下前方に敷きました。

これはかなり良好で、雑然としていた音の純度が高まります。方向性をいろいろ変えて試したのもよかったのでしょう。カイザースケールはやはりすごいです。

これに気をよくし、スピーカースタンドの後方にも同じものを敷いてみたのですが、これはいい結果が得られませんでした。やはりこんな簡単なものにスピーカースタンドにかかる重量の大部分を依存させるのはよくないのでしょう。


PB-JUNIOR ・・・ より深い安定感

真空管アンプを支えていた四個のPB-BABYを三個しかないPB-JUNIORに交換してみました。私のアンプは構造的に前面中央にインシュレーターを置くことができず、前二個、後一個の形で置いてみます。アンプは後方に大きなトランスが三つ配置されていて、これは理想の置き方ではないのですが、それでも音はより安定感を増し、深みが出てくるようになりました。

PB-BABYとPB-JUNIORの実力差は歴然です。後日貝崎さんにPB-JUNIORを一個持ってきていただき、四個で設置したところ、さらに音のバランスが整いました。

前回レポートのスピーカーケーブルをSP-Basic1からSP-Reference1に換えた時と同じように、ステージがひとつ上に上がるという印象です。特に安定感の増加にそれを感じるのは、重量物を支えるインシュレーターの持つ特性なのでしょう。


AC-Add on ・・・ 汚れたヴェールをはぎ取る

様々な電磁波で汚染された電源の影響を軽減するという、継ぎ足し型電源ケーブル(AC-Add on)をテーブルタップの根本に挿入してみました。AC-Add onは長さ0.9kaiser(94.5cm)の延長電源ケーブルのようなものです。

この効果も顕著です。電源の汚れをきれいにするという言葉通り、音空間に漂っていた汚れがクリアーになり、音の響きが清らかになります。物理的にはSN比が上がるということです。PP(ピアニシモ)の音が美しくなり、それに伴って音色自体に滑らかな優しさ、敏捷さが加わるようです。これは一度使ったら手放せません。

電源の汚れは普段まったく意識することはないのですが、音として聞く限り、その汚れの量はかなりのものだと思われます。AC-Add onはオーディオの電源のところだけではなく、パソコンや冷蔵庫などの家電製品の根本に加えても効果があるとのことですが、一本しかなければ、オーディオの根本から離すことはできません。


貝崎さんの訪問 ・・・ ものとの対話

2月17日、RK-AL12/Gen2を納品していただいてから2ヶ月半ぶりに貝崎さんに来ていただきました。あれから随分音が変わり、自分としてはかなり自信を持っていました。

けれど満を持して迎えた貝崎さんは、私のステレオの音を聴いて苦虫を噛みつぶしたような渋い表情をしておられます。「こりゃ〜全然ダメだ!」、まったく予想していなかった言葉が貝崎さんの口から飛び出しました。音が縮こまり、音の流れが単調で音楽になっていないと言われます。それを聞いても私にはなんのことなのかサッパリと分かりません。分かるのは、貝崎さんの機嫌が悪そうだということだけです。

「しゃ〜ない、ちょっと見せてみ〜」ということで、私が自己流に結線したアンプの内部を診てくださいました。私は黒と金の針金をビニール素材で巻いたもので結線したのですが、そもそもこの金属を含んだ素材がよくないのだそうです。それに加え、結線の具合も貝崎さんの目からは納得できないもののようです。

その時家には通常の結線に使われるインシュロックタイは黒がなく、白やピンク、水色といったカラフルなものしかなかったのですが、「あるものでやってみる」ということで、貝崎さんがその場で結線し直してくださいました。

あいにく私が結線した最初の状態の写真は撮っていなかったのですが、これは貝崎さんが少し結線しかけたところと完成したところの写真です。


やり直し途中

 


修正完了

貝崎さんがどういう法則性でもって結線しておられるのかまったく分かりません。たぶん言葉で表現できる法則性などないのでしょう。すべて感覚でやっておられるようです。

「ものと対話しながら作業していると、必ず相手から『こうして欲しい』という反応が返ってきて、その言葉通りにしているだけ」とのこと、含蓄のある言葉です。私も二十年以上気功や呼吸法を実践していて、土地や体の気は感じられるようになりましたが、貝崎さんのようにものから受ける気を敏感に感じ取ることはできません。まさに匠の世界です。

貝崎さんに結線していただいたアンプを再び鳴らしてみると、前よりも音のつながりが少し滑らかになったように感じました。けれどそれでも私には貝崎さんが指摘される音の問題点がよく分かりません。

まだポカンとしている私にあきれながらも最後の手段として、貝崎さんが持ってこられたケースから一本の電源ケーブルを取り出し、手渡してくださいました。


AC-RG1 ・・・ ゆったりとした音の流れ、そして気づき

貝崎さんから受け取った電源ケーブルAC-RG1(1.8kaiser)をアンプの電源ケーブルとして使ってみました。これまでは貝崎さんから「電源ケーブルの長さをすべて同じにすると、リズムが単調になってよくない」と何度も言われていたのですが、どうしても「長さは短い方がいい」という先入観が捨てきれず、アンプ、CDプレーヤー、電源タップ、そしてアンプとCDプレーヤーをつなぐピンケーブルに至るまですべて0.9kaiser(94.5cm)という同じ長さに揃えていました。

その中に倍の長さのAC-RG1を入れ、音そのものよりも、音の流れが変わりました。これまで心臓の鼓動のように単調に流れていた音楽が、ゆったりとした、まるで母親が赤ん坊を胸に抱えてあやすような、そんな長い周期の、慈愛に満ちた音楽の喜びが伝わってくるようになりました。

それを聴いた瞬間、『自分に足りなかったものはコレだ!』という気づきが体の中を駆け抜け、自分の課題をリアルに表現しているオーディオの偉大さと、それと比べてあまりにも惨めな自分の現状とを感じ取り、思わず涙がこぼれました。

いかに自分が刹那的な生き方をしてきたのか、長い周期で人生を捉えていなかったのか、私にとっては生涯忘れることのできない深い気づきを得た瞬間でした。

何度も同じことを書くようですが、やはり私にとってオーディオとは人生そのものであり、人生に対する気づきを与えてくれる極めて大切なパートナーです。ですからこの大きな衝撃を受けてからしばらくは、今度は自分の人生を考える期間だと捉え、オーディオに意識が向かず、アンプの電源を入れない日が何日も続いたのです。


伊万里の旅 ・・・ 鮮烈な音、音と音楽の深い関わり

貝崎さんに自宅に来ていただいた翌日、貝崎さんとともに素晴しい乗り心地と音に満たされたプジョーに乗り、佐賀県伊万里市に向かいました。その様子は私のホームページの「オーディオの旅・伊万里」に書いています。

貝崎さんもその時のことを「伊万里焼き窯元・瀬兵窯へRK-AL12/Gen2を納品」に書いておられますが、伊万里で特に印象に残ったことをもう一度書いてみます。

音を言葉で表現するのは困難です。不可能だと言ってもいいかもしれません。けれど人間には想像力がありますので、言葉からその様子を想像することができます。しかしここで注意しなければならないのは、過去に経験を積み重ねてきた人ほど、その自分の経験した範囲から逃れることができず、常識や思い込みで物事を判断してしまうことです。

フルレンジスピーカーを中国製の真空管アンプで鳴らしていると聞くと、たぶんほとんどのオーディオマニアの方は、素直で暖かみはあるものの、角の取れたナローレンジで古くさい音だと想像されることと思います。

けれど伊万里で聴いたRK-AL12/Gen2と貝崎さんがモディファイされた真空管アンプから出てくる音は、音の鮮度という面ではとびきりで、広い板張りの床の上に最適にセッティングされていることと相まって、その床全体がまさに実在するステージであるが如くリアルな音が再現されました。

私は自分のページで、エクセレント仕様のアンプで鳴らした時の音を『まるでよく研いだ大きな鉈(なた)で丸太を一気に断ち切るような、そんな鮮烈さを持っています』と書いていますが、今でもこれ以上的確な表現が思い浮かびません。

音の鮮度は一瞬の表現ですが、ゆったりと流れるような音楽としての音の連なり、それぞれの音が織りなすアンサンブルの妙というものは、また別次元の問題です。昨日自分のステレオで感じた課題を、再び伊万里でも感じることになりました。

これほど凄まじい表現力を持ったステレオでも、アンプ、スピーカーという個々の力だけでは、流れるような音楽表現ができません。そのことが、伊万里に来る途中貝崎さんのプジョーで聴いたCDをここで聴くことでよく分かりました。

最高度に調整されたプジョーのカーオーディオは最高のアンサンブルを奏で、音だけではなく、音楽の本質をも明らかにしてしまいます。そのプジョーとここでの音を比較すると、いかに音の鮮度は高くても、音楽的表現力の粗さは否めません。演奏者同士の呼応するような音楽の楽しさが伝わってこないのです。

音楽とは、一瞬一瞬の音が連なってできているものです。その瞬間の音は、オーディオにおける個々の機器の力量に左右されるでしょう。けれどその音のつながりは、各機器の間をどのように関係させるかということ、たぶんケーブル類やインシュレーターといったアクセサリー類にも依存するところが大きいのではないかと考えられます。

実際に伊万里では、ピンケーブルをベルデンのものからPIN-RGB/0.5に換えたところ、私のステレオで電源ケーブルをAC-RG1に換えた時と同様、音よりも音楽表現力が大きく向上しました。

音楽における音と音との関係は、オーディオにおける機器と機器との関係、つながりが影響する、実にシンプルで理に適った法則です。


ミクロコスモス

まるで命を持った生物のように変化し、心の様子や物事の理合いを的確に反映させるオーディオは、まさにこの宇宙の縮図である小宇宙、ミクロコスモスです。

このことは以前から感じていて、だからこそ異常な執念を持ってオーディオの世界を見続けてきました。特に生命法則とも呼べる現代物理学の概念を超えた東洋的マクロ思想でオーディオを探究し続けておられる貝崎さんの書かれる文章は、ステレオを手放してしまった期間も欠かすことなく読み続けていました。

ステレオから流れる優しい音楽は、心を癒す最高の清涼剤です。そしてそれを支えるオーディオは、時には厳しく自分を見つめさせる鏡のような存在です。この二つのバランスが陰と陽でいいのでしょう。

オーディオがミクロコスモスであるのと同様に、自分自身も、また自分の人生も、やはりミクロコスモスであるのです。

N.S(ヨガナンダ) http://yogananda.cc

← Back     Next →