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テストレポート6 Steady、Reference1

失敗と試行錯誤

人生が失敗と試行錯誤の連続であるように、このオーディオテストでも、失敗と迷いながらの行きつ戻りつを何度も経験しました。けれどそこから学べるものは多く、無駄や痛い思いをしたものほど深く心に刻みこまれます。

いつも思うことですが、オーディオで学べるものは実に深い示唆を含んでいて、やはりオーディオは人生そのものであり、ミクロコスモスであることを感じます。


Steady(3.6kaiser) ・・・ 初々しい上品さ

SteadyはSwingとまったく同じ線材を使い、シース(外皮)を被せた上級バージョンです。音はSwingと比べて上品になりましたが、おとなしすぎてつまらない感じで、曲を一曲聴くか聴かないかですぐにまた元のSwingに戻してしまいました。

そのことを貝崎さんに話すと、「あんたはたった三分程度で物事を判断してしまうのかい?製品が馴染むには時間がかかるんよ。人間だって会ってすぐにはその人の本質が分からんじゃろうが!」とお叱りを受けてしまいました。

たしかにその通りです。Steadyはシースが被せてある分、裸のSwingよりも馴染む(エージング)のに時間がかかるものと思われます。またSwingよりも明らかに魅力に欠けるというのはどう考えてもおかしすぎます。

再度気を取り直して試聴しました。音は先に聴いた時と変わりありません。けれどまだエージングがされていないので真価が発揮されていないのだという印象で聴くと、音の各要素が好印象に感じられます。人間でも、「あの人は実はいい人なんだよ」と聞かされて対面すると、その人のいい面を見ようとするのと同じで、思い込みで印象は変わるのです。

最初ぎこちなかった音も、小一時間聴いているうちに少しずつこなれてきて、上品さにしなやかさが加わってきました。抽象的な表現ですが、Swingの音を赤毛のアンのようなそばかすだらけの女の子の魅力とするならば、Steadyの音は、高校を卒業し、初めてのお化粧をして社会人として旅立つ女性の魅力といった感じです。ですから当初ぎこちないのは致し方ないのです。


SwingとSteady


Steady(0.9kaiser) ・・・ ズンドコ節

同じSteadyで0.9kaiser(94.5cm)という短いケーブルのテストをしました。アンプとスピーカーをつなぐにはほとんど余裕のないギリギリの長さです。

短いケーブルは電気抵抗が少ない分、一聴して音に力が感じられます。音調はそのままで、よりリアルになったという印象です。けれどその中に込められた力が、実に単調であるということがすぐに分かりました。ズンズンズン・・・という単調なリズムばかりが強調されてしまいます。

これはピンケーブルとスピーカーケーブルの長さが同じであるということが原因でしょう。同じ長さであるがゆえ、リズムを律する特定の部分のみが強調されるのだと思われます。以前の私のシステムがこうでした。なんだか懐かしく感じられます。けれどこれは比較するから分かるのであって、ただこの音だけを聴いていれば、「なんだかノリのいい音だな〜」程度にしか感じられないと思われます。

単調なリズムは、ズンズンズンズンズンズンドッコイ〜♪というドリフターズのズンドコ節を思い出させます。数ある音楽の中には、この単調なビートがマッチするものもあるかもしれませんが、流麗な音楽表現とはほど遠いものです。


エネルギー感を支配するカイザースケール ・・・ 厳密な法則に驚愕

知り合いのカラオケの先生のところにSteadyを持っていき、その音を聴いていただきました。するとリアルなヴォーカルの音色に魅了され、すぐに今使っているケーブルとの交換を決意されました。

ところが新しいスピーカーケーブルを送ってもらい、それを家で2.7kaiser二本にカットする際、誤って片方を約10cmほど短くしてしまいました。大いに慌ててしまいましたが、短くし過ぎたものを修正することはできません。カラオケ先生には断りを入れ、新しいものが送られてくるまでの間、長さが不揃いのもので我慢していただくことにしました。

ところがそれを取り付けてみたところ、予想以上にアンバランスな音が出て、とても我慢できる状態ではありません。カイザースケールに則っていない少し短めのケーブルを付けた左スピーカーの方が、明らかに音が小さく聞えます。音量ではなく、音のエネルギー感が圧倒的に乏しく感じられるのです。

たとえ短期間でもこのまま放置しておくことはできず、もしものために持ってきた試聴用に預かっている3.6kaiserのSteadyを取り出し、その場で2.7kaiserにカットして取り付けました。これできちんと左右スピーカーのバランスが整ったのは言うまでもありません。

カイザースケールの厳密さをあらためて深く感じました。Steadyは線材の縒りピッチもカイザースケールで管理されているので、より大きく音に影響を与えたのかもしれません。けれどそこのシステムは、他のピンケーブル、電源ケーブル等はまったくカイザースケールに則っていない長さですので、それを考えると、たったひとつのパーツでこれだけ音に大きな影響を与えるというのはやはり驚異です。


長さの比率によるハーモニー ・・・ 二倍長でサラウンドに

カラオケ先生の教室はヤマハの防音室アビテックスで、ケーブルは壁の中に埋め込まれ、機器も最新のものがずらりと取りそろえられています。けれど配線は実に適当で、前方二つのスピーカーが両方とも右チャンネル、後方にあるひとつのスピーカーが左チャンネルとしてアンプに接続されています。

この配線を変え、前方のスピーカーを左右に振り分け、後方のスピーカーからは左右の差信号が出るようにしました。これだけで音はだいぶまともになりました。けれどひとつのアンプで音を分配しているので、前後の音量差を調整することができません。これが難点です。

当初はスピーカーケーブルの長さを、後を10.8kaiser(0.9kaiser×12)、前方を2.7kaiser(0.9kaiser×3)としていたのですが、配線をきれいに壁際に取り回ししたいとの要望で、前方二本のケーブルをそれぞれ5.4kaiser(0.9kaiser×6)に変えることにしました。

ケーブルが長くなり、いくぶん音は大人しくなるだろうと考えていたのですが、この音が予想に反して実にいいのです。これまでの前後のスピーカーの音がケンカをしているような印象が一掃され、絶妙のハーモニーで呼応するようになりました。まるで良質のサラウンドプロセッサーを加えたかのようです。

前後のケーブル長が四倍から二倍になり、それがハーモニーに影響を与えたのでしょう。音楽が部屋全体に溶け込んで、前後の音量バランスがまったく気になりません。しかしここまで大きな影響があるとは・・・、まさに百聞は一見(体験)に如かず、事実は小説よりも奇なりです。

もしご自宅のステレオやテレビでサラウンドを楽しまれておられるのなら、是非ともこのケーブルの長さの比率を検討してみてください。


Pin-Reference1 ・・・ 音の出口にいいものを

Pin-RGB/0.5、Swing(又はSteady)、AC-RG1でバランスの取れているシステムの中に、ピンケーブルPin-RGB/0.5に代えてPin-Reference1を加えてみました。

音は予想通りに変化し、オーディオ的に優れたSP-Reference1の特長が加わりました。けれど以前スピーカーケーブルにアクロテックを使っていた時のような明らかな違和感はないものの、ほんの少しのアンバランスさを感じます。

Pin-RGB/0.5とSP-Reference1、Pin-Reference1とSwing、どちらもバランスのいい組み合わせとは感じられませんが、どちらかというと、音の出口に近いスピーカーケーブルにオーディオ的に優れたものを持ってくるPin-RGB/0.5とSP-Reference1の方が好ましいように感じます。以前にも書きましたが、『音の出口近くによりいいものを』というのは、大筋で間違いのない原則だと思われます。


再度Reference1の組み合わせ ・・・ あらためて真価を知る

Pin-RGB/0.5、Swing、AC-RG1の組み合わせで長らく音楽を聴いていたのですが、若い友人が家を訪ねてくることになり、彼にオーディオ的に心地いい音を聴かせてあげようと考え、Pin-Reference1、SP-Reference1、Blood Stream1の組み合わせにチェンジしました。

久しぶりに聴くReference1の組み合わせは軽快でリズミカルであり、かつ音の広がりも十分です。以前は透明感のある音が平板に聞えることもあったのですが、今はなぜかそんな無機的な印象がありません。

これはSwingのシステムに熱を上げている間少しずつオーディオを調整し、全体のグレードが上がってきたので、Reference1のシステムが真価を発揮できる環境が整ってきたのであろうと考えられます。


有機的な音とは何か ・・・ 演出とリアリティー

以下ここに書くことは自ら感じたことではありますが、100%確証があるものではないということをご理解の上お読みください。

有機的な音、リアリティー(実在感)のある音という表現がありますが、これは実にあやふやな概念であり、その意味するところは取り方によって如何様にも変化します。

たとえ血の通った人間が演奏する音楽であっても、それをより完璧に近い状態で再現するよりも、多少の演出や誇張を含ませた方が、有機的でリアリティーがあると高い評価を得る場合があります。

ある光景をカラー写真で撮るよりも、モノクロの方が訴求力があると感じるのは、ドキュメント写真の分野ではよくあることです。また写真よりも正確な伝達力で劣る絵画に人が胸を打たれるというのもごく当たり前のことです。そしてこれと同様のことが音や音楽にもあるということをまずは認識してください。

ゴッホの描くひまわりには一枚数十億円の価値がありますが、ひまわりの花そのものにそんな高い評価がつくものはありません。それは描く題材よりも、それをひとつひとつ絵に変換する手法や感性に価値の主体があるからです。

オーディオの場合の主体はあくまでも元にある音であり音楽であり、それを一律に機械を通してリスナーに届けるのですから、その変換過程に絵画ほどの芸術性や演出は求められません。けれどそこにある程度の "音楽的演出" があった方が、より好ましく感じられることがあるのも事実です。

あくまでも比較の上での話ですが、20倍以上という圧倒的価格差のあるSwingとReference1を比べた場合、物理的特性や音をより正確に再現する力はReference1の方が優れているのが当然です。けれどSwingはその下位バージョンというだけではなく、線材の太さや構造、スズメッキ等によって個性という演出が加えられていて、その演出が絶妙であるがゆえ、音楽的表現に優れ、有機的な音色であるように感じられるのだと思われます。
(Swingがある特定の再現能力に秀でているという可能性もあるかもしれません)

けれどその演出は、システム全体のグレードが上がれば上がるほど必要性が薄れてくるものであり、料理でも、素材が新鮮で上質であれば、調味料が少なくてすむのと同じです。


生命としてのケーブルの役割 ・・・ デジタル的正確さ

人間を含めたすべての生物種は、曖昧さを許容するアナログ的要素と、正確さを求めるデジタル的要素のふたつによって種としての生命を繋いできました。生命は環境の変化に対する臨機応変な適応力と、複雑な生命システムを維持するための厳格な正確さの両面が求められているのです。

オーディオは録音現場で奏でられた音楽の持つ生命を、リスナーの耳元まで正確に送り届けるのが使命です。けれどそこに至るまでには様々な異なる環境があり、それに適切に対処するにはアナログ的曖昧さ、演出といったものもある程度は必要です。一般的に日本製品はその点が弱く、そこに強いヨーロッパの製品は音楽性に秀でていると言われています。

それとともに生命の伝達にはデジタル的厳密さも必要で、アナログテープのように何度もダビングを繰返すと音質が劣化してしまうようなシステムだけだと、生命の連鎖を綿々と築き上げることはできません。

生命に於けるアナログとデジタル的要素については、拙文「深遠なるデジタルオーディオ<2>」をお読みいただきたいのですが、生命システムに於けるアナログ的要素の代表が細胞であり、その細胞の形成情報を伝える遺伝子DNAがデジタル的要素の代表です。

DNAは四つの塩基によるデジタル情報システムだからこそ、正確に次の世代まで情報を伝えることができます。もし膨大な遺伝子情報をレコードのようなアナログ的手法で伝えようとしたら、きっと微細な情報はノイズに埋もれ、消え去り、変容してしまうに違いありません。

デジタルとアナログ、どちらがより優れているということはありません。どちらにもいい面と悪い面があり、それを補い合っていくことが大切です。そして情報の伝達という点では、DNAがデジタル的であるように、デジタルの特性が優れています。

オーディオに於けるケーブルの存在は、生命情報を伝達するDNAの存在と近似しています。だとしたら、その特性には、臨機応変な曖昧さや演出といったアナログ的要素より、より厳密なデジタル的正確さを求めて行くのが本筋だと思われます。

デジタル的正確さとは、言葉を変えれば高い物理特性ということです。これはもちろん通常の測定器で測ることのできる静的物理特性だけではありません。それだけならば、ただ単に純度の高い銅線を、太く短くすればいいだけです。

真に求められるのは、静的なものと同時に動的にも優れた物理特性です。これはカイザースケールで示される波動としての振動の節、色、構造、材質、方向性、これらすべての要素と微妙に絡み合ったもので、それを律するローゼンクランツのノウハウは、他のブランドよりも二歩も三歩も秀でています。そしてそれが音楽性の高い音として現れています。

生命の仕組みから考えて、オーディオシステムの状態が理想に近くなったならば、ケーブルは、正確な情報伝達の役割を果たす静的・動的な物理特性の優れたものがより真価を発揮するのだと思われます。


音は真実を映す鏡

話が大きくなってしまいましたが、Reference1のよさを再認識することにより、ケーブルの持つ役割について深く考えさせてもらうことができました。

オーディオは自分にとって人生そのものであり、音は真実を映す鏡だと感じます。まだ本当の真実を見るには至っていませんが、音との関わりで少しずつ理想の形に近づくにつれ、その真実を見るための扉に一歩ずつ近づいているのを感じます。

N.S(ヨガナンダ) http://yogananda.cc

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