トップ情報日本国民は日本という国をどんな国にしたいのか?>首相靖国参拝で米「失望」の本当の意味は…ここでも自虐史観、日本は誇り取り戻し「富徳強心」へ進め

首相靖国参拝で米「失望」の本当の意味は…
ここでも自虐史観、日本は誇り取り戻し「富徳強心」へ進め

2014.1.12 MSN 上田和男

マスコミは誤解している

年末の安倍晋三首相の靖国神社参拝に、多くの心ある日本人は快哉を叫んだことでしょう。中国・韓国の反発は予想通りでしたが、米・オバマ政権が「失望している」と表明したと多くのマスコミが騒いでいるのが気にかかります。

米大使館のコメントは「Disappoint」(外交用語としては「心外」と訳すべきで、無関与を言外に秘めた用語です)と書かれており、もっと強い意味を持つ「Regret」(遺憾)とか、「Concern」(懸念)といった、抗議と関与を秘めた用語を使わなかったので、事実上は中立的発言ととらえるべきです。

実際上、経済面で、また大量に国債を買ってもらっている中国に気を使った発言ながら、言外に日本に対しては、一番軽い表現で逃げているわけで、これを「失望」と訳して、大騒ぎしたのは、日本のマスコミ界の、英語能力不足と、あるいは意図的な“自虐指向”の仕業だと考えます(ちなみに、ワシントンからも、同じ“心外”の用語しか出ていません)。

マスコミは外交問題と騒いでますが、目下世界に200カ国ある中の2カ国だけが大騒ぎし、ほかにせいぜい2、3カ国が、やや非難めいた声明を出しただけです。安倍首相の発言(平和を祈念してきた)を評価した十数カの国のことは無視し、さらに何ら声を発しなかった180カ国を度外視して、一体何が“外交問題”なのか、理解に苦しみます。

しかしながら、安倍首相の靖国参拝は、誇りや自信を喪失して堕落してしまった現代日本人を覚醒させるきっかけになるかもしれません。今はそちらの方を期待しております。


明治維新は世界初の“平和革命”

さて、ここから本稿の主題に入りますが、日本人をここまで自信喪失させてしまったのは何だったのでしょうか。以前、別のところでそのことを嘆いたところ、多くの方からいろんなご意見をいただきました。

GHQ占領政策による大和魂の喪失と戦後教育の罪ではないか、経済一辺倒主義の結果としての奢りと油断ではないか、といった敗戦以降に論点を絞られた方もいれば、明治末期の富国強兵策の行き過ぎから第二次大戦の惹起、特に日露戦勝後の国際性を欠いた外交失策が招いた罪、さらには煽動するだけで、真の教化義務を怠ったマスコミの責務だとする大正・昭和世代までさかのぼる自責論を唱えられる方もいらっしゃいました。

一方で、先史時代から古代〜近世までの日本人が諸外国人の絶賛を浴びてきたこと、またそうしたわれわれの先祖に対する誇りと自信を今こそ取り戻し、急ぎ日本の劣弱化を防がねばならない−という私の論に関しては、多くの賛意を頂戴でき、大変うれしく思いました。そこで、今回は、日本が今後進むべき道は「富徳強心」にあるのではないか、との提案をテーマとするとともに、戦前戦後の反省点に関する論議を起こしていきたいと思います。

18世紀から19世紀にかけて、世界の有力国は次々と内乱を経ることで、近代国家へと脱皮してゆきました。その代表的な例を挙げると、欧州ではフランス革命、アメリカでは南北戦争、アジアでは明治維新が思い浮かびます。ここで注目したいのは「死者」の数です。欧米の諸例では、死者が数十万人を超えるという多大の犠牲を払いました。これに対し、幕末日本ではわずか数千人とけた違いに少なく、文字通り世界初の“平和革命”を成し遂げたのです。

ただ、維新の成功の背景には、開国、すなわち文明開化、欧米化があり、そのための「富国強兵」がなされました。これが逆に、昔からの大和心、伝統精神を少なかれ失い始めるきっかけとなったのかもしれません。

開国日本のお手本は、当時最強の産業力と海軍力をバックに政治外交でも世界のリーダーシップを発揮していた「パックスブリタニカ」こと英国にありました。その英国との同盟関係のおかげで、日本は日露戦争に勝利し、第一次世界大戦後、世界の5大国として国際社会に堂々の仲間入りを果たし、近代日本の礎石を築いたのでした。


政治的外交的未熟さ露呈した日本

ところが、ここで日本は政治的外交的未熟さを露呈してしまいました。その第一歩を踏み出したのは、ベルサイユ講和会議の首席全権・西園寺公望で、日本は国際新秩序に取り残されてしまいます。それから数年を経ずして同盟を失い、その後は坂道を転がるように、英米仏蘭など国際主流派の支持を失い、10年を経ずして首席全権・松岡洋右が国際連盟脱退と反主流派の日独伊三国同盟を結んで…と亡国の危機へと道を誤っていきます。

この間、マスコミや国民も「国際音痴で付和雷同する衆愚日本」を露呈する誤を犯してしまったようで、あとは帝国主義的な軍事政権主導のアジア進出が、国際政治外交的にも、資源貿易的にも日本を追い詰めていき、その末に、第二次大戦突入へと暴走してしまったわけです。

ここで仮定の話が許されるなら、日英同盟を破棄せず、国際連盟を脱退せずに、英米仏蘭とアジアの近代化を話し合いで解決する道へ進んでおれば、少なくとも日米対立は避けられたように思われます。歴史の教訓を生かすため、考えさせられるテーマの一つでした。


過剰な自虐史観

戦後日本の最大の過ちは、戦勝国側の極めて一方的な敗戦国糾弾やGHQの洗脳政策をあまりにも従順に受容し、多くの隠された史実を十分に極める時間を待たずして、過剰な自虐史観を国民全般に蔓延させてしまったことに尽きるようです。

確かに戦争を起こした非は当然自認するとしても、事実も虚構もごちゃ混ぜに誇大視して、いつまでもペコペコと謝り続ける敗戦国は、国際社会でも皆無です。ドイツやイタリアの昨今の外交と対比すれば彼我の違いは明白でしょう。

そもそも、通称・東京裁判には違法性・非妥当性の問題があります。近代国際法の精神では許されていなかった「事後法」による「平和に対する罪」という事後設定根拠に基づく蛮行裁判でした。また、戦勝国側が一方的に戦敗国を断罪することが禁じられていたにもかかわらず、不公平で主観的な軍事裁判が強行され、パール判事の「無罪主張」を無視して結審しました。

なお、パール判事は「これは裁判の名を借りた復讐であり、占領政策のプロパガンダにすぎない。十分な法的根拠もないのに25人という多くの被告を処刑する(全員有罪、文人まで含む内7人もが死刑判決)は20世紀文明の恥辱である。時が熱狂と偏見を和らげたとき、また理性が虚偽から仮面を剥ぎ取った時、正義の女神が過去の賞罰の所を逆転させることを求めるであろう」と後世の再審を予言する名句を残されました。


的中したパール判事の“予言”

その後の史実をひもとくと、1952年4月のサンフランシスコ講和条約で日本は独立を回復しますが、その際、「東京裁判の諸判決を受諾するが、その裁判そのものを受諾したわけではなかった」ことが明記され、同年6月参議院本会議において戦犯釈放の国会決議と4千万国民の署名を提示し、戦勝関係諸外国11カ国の賛成を得て1956年、ついに収監中だったA級戦犯全員が釈放されたのでした。

つまり、1948年の東京裁判は、パール判事の予言が的中して8年後に覆され、それが国際的現実となったのです。この「日本に戦犯が居なくなった史実」を弁えず、東京裁判に縛られた外務官僚やマスコミ、多くの国民が自虐史観に陥っているのは、困った問題です。

アメリカの横暴についても触れておきたいと思います。国際法上、非戦闘員を戦火に巻き込んではならないという基本的姿勢を無視し、米軍は東京、大阪、沖縄などの市中を過酷なまでに爆撃しました。その極め付きは広島・長崎への原爆投下でした。これは、同じ敗戦国の独伊では見られなかった現象ではないでしょうか。被爆地に立てられた碑に「この過ちは繰り返しません」という一文があります。日本人だけが過度な自責にとらわれる前に、実はこの文の主語は原爆を造ってしまった米国のオッペンハイマー、アインシュタインら物理化学者達で、彼らの人間的苦悩を吐露した言葉として解釈することを視野に入れておくべきです。それが国際的常識だといえるのです。


日本に感謝する国々がある

さらに、第二次大戦前のアジア、中東、アフリカ、中南米の有色人種諸国は軒並み、白人欧米列強国の植民地だったことも思い出すべきです。これら全ての国々が戦後の独立を果たし、国連に参加し一票を確保できたことは史実であり、多くの国が「唯一の有色人種国日本が戦ったことが、この契機となった」と高く評価していることを忘れてはなりません。

その植民地解放の喜びと感動を書いた名著「日本人よありがとう」(マレーシアの元上院議員ノンチック氏半生記)の前文に、その後の日本人がどうして昔の高き心を失ってしまったのかを嘆いた詩がありますので、ここで紹介します。

《かつて日本人は清らかで美しく、親切で心豊かだった。アジアの国々に自分のことのように一生懸命尽くしてくれた。少しは怒りんぼや威張る人も居たが、総じておおらかで希望に満ちて明るかった。戦後の日本人は自らを悪者だと思い込まされ、父祖や先輩は残酷無比な酷い人だったと、世界中にペコペコ謝ってばかりだ。会社と仕事のことしか思わず、自信がもてるのは経済だけで、ひょろひょろな日本人は本当の日本人ではない。どうして、こんなになったの…》(要約抜粋の責は小筆にあり)


人間性無き者は「ヒト」という個体動物種でしかない

日本人がそうなってしまった背景には、おそらく「押し付けられた憲法の不適切・不自然な一部条文」「廃止された道徳教育による心の喪失」「アメリカ的物質文明と金権崇拝」「教育勅語の廃止で愛国心・忠義心・友愛・孝行・肉親愛などが喪失されたこと」があるでしょう。それらを助長・悪用したのが日教組教育で、その後、経済至上主義・工業立国と雇用政策によって核家族化した家庭で社会教育が崩壊していきます。さらに、俗悪TVなどマスメディアの劣化、学界やマスコミの社会啓蒙力衰退、政官界のリーダーシップ欠如、そして庶民自身の平和ボケ、物欲私欲、教養力失墜…と国民全般に劣弱化が深化してしまったように思われます。

要するに現代日本人は自虐史観にさいなまれ、自信喪失し国際感覚を欠き、迷走遁走を繰り返す軟弱な心の持ち主に成り下がってしまったのです。人間性無き者は「ヒト」という個体動物種でしかありません。

社会で、さらには世界で、正しく強く共生していくには、「人間力」を取り戻す必要があります。それには、まず自ら礼と義を高揚し「富徳」を積み、自虐や他責をきっぱり捨て去ることです。そして、自責を礎に自主独立を勝ち得る研鑽努力を重ねる中で自信を取り戻し、「強い心」の主へ、今こそ脱皮すべきです。




上田和男(こうだ・かずお)
昭和14(1939)年、兵庫県淡路島生まれ。37年、慶応大経済学部卒業後、住友金属工業(鋼管部門)に入社。米シラキュース経営大学院(MBA)に留学後、45年に大手電子部品メーカー、TDKに転職。米国支社総支配人としてカセット世界一達成に貢献し、57年、同社の米ウォールストリート上場を支援した。その後、ジョンソン常務などを経て、平成8年(1996)カナダへ亘り、住宅製造販売会社の社長を勤め、25年7月に引退、帰国。現在、コンサルティング会社、EKKの特別顧問。

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