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広島にミサイル基地出現?


  以前から感じていた事ですが、広島の街並に何故か身体が溶け込め難いのです。その事をハッキリと証明する出来事がありました。それは数年前に次男が京都の学校へ行く事になり、レンタカーを借りて小さな引越しの時です。鴨川縁は丁度桜が満開で目に入る光景は昭和30年代にタイムスリップしたようです。木造の建物が多く、代々続いている事を感じさせる由緒ある看板を付けた乾物屋さん、お菓子屋さん、呉服屋さん、鍛冶屋さん等それはそれはもう嬉しくなってきました。

  「あ〜これが日本だ!、これこそ日本だ!」と叫ぶ、忘れかけていたもう一人の自分の存在を意識しました。体の奧深くに埋もれてあった原風景が”じわ〜っ”とよみがえって来ます。こんな町でこれから生活出来る息子は、「いい経験をするだろうな〜」、「また人情の大切さを学び取ってくれるといいな〜」と感じるのでした。

  数日前、四国の松山に渡った時に感じた事は街並がオレンジ、黄色、緑の暖色系であることです。そう、全てに優しく温かく迎えてくれるのです。有意義な3日間の旅を終え、フェリーで呉に夕方着きました。その時不思議な感覚を憶えます。空気が刺すといいましょうか、少し鋭利に感じます、しかし30年以上も既に住んでいます関係からでしょうか、馴染むと言う点では広島の土地の方がしっくりきました。住めば都とはこういう事なのでしょうか?  
 
コンクリートとガラスの鋭角で直線な校舎 まるで工場の様な体育館

 いつもよく通る道なのですが、広島城の北側にある市立高校は巨大なコンクリートで出来た軍事施設の要塞のような建物です。お城と重ね合わすとなんとも異様な光景で、どちらもが死んでしまいます。公立高校ですが何とエスカレーターまであります。車椅子の生徒を受け入れる為ならバリアフリーのエレベーターのはず、これが福祉施設なら賛成も出来ますが、心身ともに鍛えなければならない育ち盛りの高校生には「百害あっても一利」ありません。この様な行政は私にはどうしても理解出来ません。聞く所によると有名な建築家に任せたそうですが、利用する人達にとって価値あるものでなければ、何の意味もありません。「あの人の設計だから」、「デザインだから」とは、教育現場まで一種のブランド志向でしょうか?。

巨大な吹き抜け空間とエスカレーター

  それともう一つアレルギー反応を示す構造物があります。それは広島駅の正面に掛かる駅前大橋のたもとに、高さ20メートルはあろうと思う金属で出来たミサイルのような形をした4本の柱です。それは槍のように先は鋭利で、無機質で、冷たく、兵器を連想させ、平和都市広島の陸の玄関口にはまったく似合いません。この事を広島市に尋ねると、最初はピラミッド型のモニュメントの構想だったらしいが、予算がなく今の形の物になったそうです。

写真の撮り方にもよりますが今にも発射しそうなミサイルに見えます

  そこで、更に詳しく尋ねると、このシンボリックなポールは「手の平を合わせた合掌」をイメージしたものとの答えを得ました。100歩譲っていくら目を細め手を合わせた姿を頭に浮かべながら眺めても私にはその姿と重なりあう事はありませんでした。そこでその構造物を被爆者の方たちや市民に感想を聞いてみるつもりはありますか?と尋ねても、「今の所そういう考えは無い」と言うつれない返事しか返って来ません。広島の街並そのものを司る、こうした主要なモニュメント的な物には、豊かな感性で事に当たって欲しいものです。現状のような心配りの無い行政では、世界に向けて平和を訴えようとも力は無く弱いものでしょう。

多くの人の出入りのある駅前デパートとシンボルタワーの異様なコントラスト

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