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親から子へ、豊かな心を伝えていく


 音楽を音楽としてきちんと感じ取る感性を持ち合わせているということは、人と人との心のふれあいを、大切におもんばかる気持ちとあい通じるように感じてなりません。その音楽とは、人種や言語、年齢、環境等、あらゆるものを超えて心に直接働きかける力のあるものだからです。

 それは、自分に直接働きかけられたものではなくても、音楽やスポーツは人々に感動を与えます。また、音楽やスポーツに限定しないで、もう一つこれらのものを大きくくくると、”一生懸命に生きている姿”に感動を覚えるということが出来ると思います。
 
 それらのものは、感動という形で本能の部分に直撃してくるものであります。小さなことであれば、日々生きている日常の生活の中から何気なく接したり、感じたりするものの延長線上にあると思います。そうした繰り返しや積み重なりが心の中に蓄積され、その人独自のものとして形成されていきます。

 その過程の中で、人の優しさや、愛情に育まれて出来上がっていく形のものもあれば、その反対に、憎悪や暴力といった凶暴なことにも出くわします。一番大切なことは、その時に自分がされて嫌なことは人には決してしないという、反面教師として物事を受け止められるだけの心にゆとりがあるかどうかという事です。その心にゆとりを生むのは、愛情のこもった母親の手作りの料理が何よりも不可欠だと思います。それに飢えた子が、心のバランスを失って、人生の羅針盤を狂わしてしまうのです。

 母親から口を酸っぱくして言われた言葉=「人の姿見て、我が振り直せ」。これが、私の場合には強く印象に残っています。また、今では死語となりましたが、「お天とうさんが見ているよ!」。この言葉などは、今思えば、子供の心に自分で考える力を身に付けさす、ほのぼのとした響きを持っているものです。

 いつも感心していたことですが、「○○さんいらっしゃいますか?」と、私が電話でお訪ねすると、「少々お待ちくださいませ」と言って、つないでくださっていた明治生まれのお父さんが昨日92歳でなくなられました。40歳ほど年の下の者に対して、敬語を使った言葉で接することがこの私に出来るのであろうかと、いつも心にグサッと突き刺さるような気持ちで受け止めておりました。

 直接注意するのではなく、自分の普段の行動から、無意識のうちに人の心に影響を与えている、こんな立派な教えを私に残してくださいました。最後まで毅然として、自分のことは自分でするという生き様を通されていました。「明治男は凄いなあ!」と、強烈な印象を残して逝ったのです。

 もちろん、「その親にして、この子あり」で、私より一つ年上の○○サンも言葉使いのきれいな紳士です。常日頃から、こうした人間的に立派なお客様に囲まれて仕事をさせて頂いておりますので、学ぶことが大変多く勉強の連続です。これからも、音を磨くとともに、「心そのものを磨かなければ」と、さらに意を強くした次第です。


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