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急に降って湧いた箱根芦ノ湖


 朝、いきなり、「箱根へ行くぞ!」と、大声でわめく。

 「また、この人はおかしな事を言い出した」と家族の者は慣れっこみたいです。先日見たテレビ番組の中で、「芦ノ湖スカイライン」を気持ちよくドライブする模様が目に焼きついていましたので、いつか、秋の天気のいい日に行こうと決めていました。それが、たまたま今日だったのです。しかし、そんな事は私の頭の中にあるだけの事であって、他の者には知る由もありません。

 それと、10日ほど前に羽田の湾岸道路を通ってベイブリッジを渡り、横浜の島田貴光さんを病院に見舞った時にも素晴らしい景色と爽快感を味わっていたので、ドライブの魅力の一端に気付きつつあったのかもしれません。

 この日も同じように、ベイブリッジを渡り海岸線沿いのコースを選ぶのですが、横浜までは「空港」、「流通倉庫」、「工業地帯」、そして「港」と続き、正に日本の心臓部の鼓動を見る思いがしました。


 途中、厨子あたりで道を間違え、葉山の方まで行ってしまうハプニンが発生。ナビ任せでも、時々間違うことがあります。Uターンして、急きょ鎌倉の大仏さんをこの際見て行こうという話になり寄り道です。鎌倉の町は京都と同じように日本情緒が色濃く残った風情を醸し出しています。それはビルが少なく、目線の高さで感じる人々の生活感や匂いから来るものなのでしょう。


 大仏さんのところへ来てみると、修学旅行生や外国人達の観光客で一杯でした。すぐ背後の自然の山に守られるように大仏さんは堂々と構えております。その大きさには圧倒されるものがあり、仏身の高さ11メートル、重さになると”何と!、121トン”、車約100台分です。また、愛嬌があるじゃないですか、20円も払えばその仏像の中に入れると言うので、好奇心一杯で入ってみました。青銅で出来たその体に触れてみると、太陽に熱せられ、お風呂の温度くらいに熱くなっていました。最初の大仏さんは木造だったそうですが、出来てわずか4年で大風で壊れ、それを機に数年後の1250年代に今の青銅の鋳造となったそうです。


 湘南海岸の海が余りにもきれいだったのでしばし車を停めて一服です。


 小田原に入るやいなや、かまぼこ工場から出る独特の臭いが鼻をつきます。箱根湯本の商店街は車が混んでおり前に進みません。そこで、「かまぼこ」でも口に頬張りながらのんびり車を運転しようと思い、「かまぼこを買って来いよ!」と妻に言ったのですが、「何と!、買って来たのは”ちくわ”」。「うう・・・ここは、豊橋か?」。

 大学駅伝コースである国道1号線を通るか?、箱根新道を通るか?、夕暮れが近づいていたので迷いましたが、あえて、駅伝コースを選びます。「大平台」、「宮ノ下」、「小涌谷」、テレビで見慣れた光景や聞きなれた地名ばかりです。

 途中「曽我兄弟の墓」というバス停を見つけましたので、引き返してカメラに収めました。


 最後に下りに入ると芦ノ湖はもう目の前です。鳥居をくぐったら、そこが今日の目的地である箱根芦ノ湖です。すぐに駅伝のゴール地点はどこか探すのですが、中々それらしき所が見つかりません。そうこうしていると、箱根の関所跡にたどり着きました。数年掛けてやる壮大な復元工事がたけなわのようです。こうした価値あることであれば税金や予算もどんどん使ってやって欲しいものです。


 湖畔には大小色々な船が行き交っていますが、中でも目を引いたのが海賊船の遊覧船です。デジカメに収めている間に乗ってみたくなり、切符売り場まで行くのですが、今日はもうお終いとの事。結局、どうして海賊船なのかの疑問は最後まで分かりませんでした。


 最後の楽しみであった「芦ノ湖スカイライン」のドライブですが、もうほとんど日が暮れて、周囲の景色も見えないような時間になってしまったのでちゅうちょするところです。料金所の人も、”おかしな連中”という目で見ていました。

 それでも、ここまで来たのだからそんな事はお構いなしで、強引に600円払って、まるで貸しきり状態のような悠々とした気分で車を走らせます。「三国峠」で車を停め、周りを見渡しますが、鉄塔や電線、また、家々から漏れる明かりのような人工的な物は何一つ無く、目に入るのは幾つにも連なる峰ばかりです。如何に自然というものに価値があるのか、つくづく思い知らされるのでした。


 このように雄大な景観が残っているのは、日本では、もう数えるほどしかないでしょう。次回は朝早く出発して、もう一度澄み切った青空の中で、三国峠からの眺めを楽しみたいものです。


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