トップ情報最近のニュース最近のニュース2002>音の弘法大師

音の弘法大師


 スピーカーアタッチメントのパーフェクトモデル用に取っておいたパーツ在庫が無くなり、しばらくは作ることが出来なくなりました。今回一度に3人の方の為にお作りしたので、とうとう最後になってしまいました。そのSP-8N(Perfect)をお届けした音の感想をTさんから頂いたものです。



 ----- Original Message -----
 From: <T.T>
 To: <info@rosenkranz-jp.com>
 Sent: Sunday, November 10, 2002 1:14 PM
 Subject: 音の弘法大師


  こんにちは。今日は月末に監査があるためうらめしくも出勤です。ゆうべはあれから早速アタッチメントをつないで音を出しました。一聴してすぐ音楽がスイングしているのがわかりました。音が大きいのでボリューム位置を確認しましたが、いつもと変わりません。エネルギーが無駄なく伝播している証左でしょう。(普通に考えると抵抗が増えるので逆のはずなんですが・・・。)

 特に感銘したのは演奏者がふと力を抜いたときの素晴らしさです。

 力強さを表現できる機器は数々あれど、
 
 力を入れる前のタメ、

 力を引いたときの一種の脱力感ではない

 解放感や安堵感を表現できるものはなかなかありません。

 それは弦楽器やピアノよりもボーカル、

 管楽器、ギターなどの撥音楽器でより顕著で、

 かつ、中音域(声の帯域)に近づくほどに表情が豊かになっていきます。

 
 ゆうべは翌日が出勤であることを考えて、早めに床に入る予定でしたが、時間の経過とともに音がこなれていき、12時過ぎるころには評論家的な低音がどうの、高音がどうの・・・という分析はもうどうでもよくなってくるくらいの音、いや、音楽になりました。

 一言で言えば「表現力の向上」でしょうか。

 いや表現力という言葉も力を失う。

 音楽の表情、いや演奏者のスピリットまでも顕れてきます。

 
 マイルスのトランペットが音の輪郭がきりっと立ちながら、

 こんなに表情豊かに聞こえたことはありません。

 人によってはその鋭すぎる才能を揶揄されることも少なくない人ですが、

 やはりこの人は神から祝福され、力を与えられている人だと再認識しました。

 
 マディ・ウォータースのブルースではアメリカ黒人の内面の葛藤、

 一方で、苦しい日常のなかでも一瞬訪れる生命の喜びが音の一音、一音から聞こえてきます。

 このひともアメリカ黒人文化の精神と形を体現した巨人です。


 カイザーサウンドの素晴らしいところは表面上の洗練を追い求めずに音楽の醜美まで内包させているところです。(DS,CX,GS・・・歴代のシトロエンも決して綺麗ではなく、むしろ醜い。が、真の意味でエレガントで美しい。)文明は洗練されすぎると力を失います。

 今の日本、特に東京あたりのあり方を見ているとそう感じます。そういう意味で貝崎さんが日本の中心である東京に拠点を構えたのは正しい選択だと思います。これは決して上流階級や知識階級のための唯識的、形而上学的な仏教ではなく、欲望を人間性の原点として認め、中国で法力を得、そのパワーを出世栄達のためだけではなく、各地を巡礼し、布教を行い、真言密教を広めた空海、弘法大師にも通じるものを感じます。

 必ずや、貝崎さんの投じた一石が、唯識的あるいは唯物的なものに偏り、上っ面だけの洗練と営利のみを追求する我が国オーディオ界に波紋と波動を広げていくと信じております。


back