細部を見るのは非常に重要なことなのだが、政策研究を志す人は、あまり細部を見ない。自分が総理大臣になったような気分を味わいたいのだろうか、自分は首相でもないのに、首相になった気分で「こうしろ、ああしろ」というのが政策提言だと思っている人が多い。
そして最後に「思い切ってやれ」と書けば出来上がりで、いい気分である。だが、そういう取り組み方をしていては細部に神経が行き届かず、ほころびが出る。実行してもうまくいかない。
その打開をするために、次は具体的実行案のアイデアを出さなければいけないのだが、それを言葉だけで考える人がいる。「計画的に進めろ」とか、「専門家を起用せよ」「海外の先進国の事例に学べ」とか、決まりきった美しい文句を付け足して出来上がったつもりになっている。
それを読むと、きれいに出来ているけれど、きれいすぎて「本当かな?」とも思ってしまう。
わたしは、本当に役に立つ情報はノイズの中にあると思っている。ノイズ、雑音。情報理論が盛んになって、情報をたくさん集めると大部分はノイズであるから、捨てなければいけないと言われるようになった。そこでは真に有用な情報をどのように拾い出すかが重要で、そのための評価が必要だという答えになる。
なるほどその理屈はうなずけるが、では「これはノイズだ」と誰が決めるのだろうか。そこを考えなければいけない。頭のいい人はむしろノイズをほじくり返して、何かを発見してもうけている。それができない人は学者などになって、「ノイズをちゃんと正しく見分けることが肝要です」などと教科書に書いている。
しかし、新しいものは必ずノイズの中から出てくる。古いことをやっていて「これは要らない」というのがノイズだが、何か新しいことをしたいと思ったら、そのノイズのゴミ箱の中をもう一度探さなければいけない。捨てたゴミ箱から何か出てくるものである。
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