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合理主義は空論だった
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ある方から次のようなメールを頂きました。
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----- Original Message -----
From: ////
To: 'info@rosenkranz-jp.com'
Sent: Thursday, January 22, 2009 12:38 PM
Subject: 元ソニーの天才技術者の経営観
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ソニーの元常務で天才技術者と言われた天外伺朗氏が下記のように述べてます。
CD、AIBOの開発責任者である天外伺朗氏著「マネジメント革命」では、再発見日本型マネジメントの真髄は「長老型」であるという。
合理主義は空論だった!
どんな企業でも、マネジメント教育には力を入れ、マネジメントの選抜には慎重を期している。それなのに、部下から見て優秀な上司というのは滅多に出現しない。そのほとんどが、部下としては極めて優秀だったにもかかわらず・・・だ。
今日のマネジメントの選抜や教育のシステムが有効に働いていないのは、それらのシステムが「組織や人間は合理的な存在だ」という前提のもとに作られているからである。これは大きな錯覚だ。
多くの人が、組織や人間は本来合理的に動くはずだと、頭では考えている。しかし、その実体はさっぱり合理的でないことは、誰でも心の奥底で把握している。
企業経営や人事システムでは、この合理性からはみ出した部分は、合理的な部分に比べて、はるかに大きく、大切で、本質的だ。それを無視した企業経営は、欠陥商品といわざるを得ない。
今まで、その欠陥商品でも何とかやってこられたのは、従業員たちがその欠陥を、人間的な包容力で補ってきたからだ。タテマエとホンネをうまく使い分け、うやむやにごまかしてきたからだ。
だから、管理を強化し、近代的で精密な経営手法を導入すると、企業がおかしくなる。ごまかしが利かなくなってしまうのである。そういう企業には、飲み屋で憂さ晴らしをしながらでも、上司の欠点をカバーしてくれる優秀な部下はいない。身体を張って泥をかぶる人はいなくなり、皆が責任逃れに終始する。
バブル崩壊以後、日本の多くの企業が、成果主義をはじめとする米国流の近代的な合理主義経営手法を導入した。これらの手法を導入することにより、企業は活性化すると信じられていた。
だが、事実は全く逆だった。合理主義経営を導入した企業から、軒並みおかしくなっていった。「人間も組織も合理的な存在のはずだ」という前提のもと、理性と理論で作り上げられた「米国流、合理主義経営論」は全くの空論だったのだ。
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私も同じように思います
「グローバルスタンダード」という言葉の黒船がやって来て、改革の波に遅れまじと我も々と必死について行った状態は、まるで流行り病のようでした。日本に何千年と伝わってきたものを、おいそれ急にと変えようとしても馴染む訳がありません。成果主義は心に疲弊感を植えつけただけに終りました。利よりも害の方がはるかに大きかったと思います。
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